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(エッセイ)アフガニスタンと中村哲医師そして「花と龍」 村上博昭

横浜市在住の村上博昭です。私は6年前に神奈川大学の社会人講座で「エッセイの書き方」を受講しました。講座最終日のパーティーで、現在も参加している「同好会」に誘われ、今でも毎月同好会で「エッセイ」を発表しています。

私は野次馬なので、何でも題材にしてしまいます。
「アフガニスタンと中村哲医師そして「花と龍」」も、身の周りの整理中に発見した九州時代の知人新貝勲さんの古い手紙から書いたものです。九州時代は会社の良き仲間との思い出が一杯あります。感謝しております。

(エッセイ)
アフガニスタンと中村哲医師そして「花と龍」                    村上博昭

私は中村哲先生と直接、交流はないが冒険家でヒマラヤのK2登山隊長の新貝勲さんを通して中村哲先生の、アフガニスタンでの医療活動を聞いている。
九州大学医学部卒の中村哲医師は、当初新貝さん達の登山隊の医師として、アフガニスタンに行ったが、現地で貧しい人達が病気で苦しんでいるが医者にかかれない状況を知り、現地で医療活動を始めた。その後この国の貧しさを改善するため、用水路を作り、農業基盤の改善に情熱を注いでいた。
ところが2019年、何者かに銃撃され、殺されてしまった。
私も85歳になったので最近身辺整理を急いでいる。この時、新貝さんからの、古い手紙が出てきた。
私は39年前、ファイザーの日本法人に勤めており、九州の支店長をしていた時、新貝勲さんと知り合った。そして中村哲先生が、アフガニスタンで医療活動をしているが、医薬品が手に入らなくて困っているとの話を聞き、早速、東京の本社にアフガニスタンの中村哲先生に必要な医薬品を送ってくれるよう手配した。医薬品を受け取った中村哲先生が喜んで、新貝さんに連絡がきた、という内容の手紙だった。
その後、私は大阪に転勤になった。そのとき新貝さんは福岡で開催されていたアジア太平洋博覧会のセレモニーでヤップ島から福岡まで5000キロをカヌーで渡る航海をしていた。ヤップ島を3月24日に出発し、福岡に5月2日に着いた。
私が九州にいなかったので、再び、手紙をよこしたのだった。その後大冒険家の新貝勲さんは交通事故で亡くなってしまった。
さて、中村哲先生と「花と龍」の話だ。
「花と龍」は作家火野葦平の小説だが、内容は火野葦平の父と母が主人公だ。中村哲先生の母親は火野葦平の妹だから、火野葦平は叔父さんに当たる。
そして小説中の主人公、玉井金五郎はお祖父さんで玉井マンはお婆さんだ。小説に出てくる、長男玉井勝則は火野葦平本人なのだ。北九州が舞台で、暴力団との闘争の場面が多い。玉井金五郎は極力暴力での対決は避けていたが、一度暴力団との抗争で瀕死の重傷を負っている。
玉井金五郎は愛媛県松山の道後出身、玉井マンは広島県の田舎の貧しい村出身。
二人は北九州、若松で貧しい港湾労働者から身を起こし、玉井組を名乗るまでになったが、無学なことが引け目になっている。長男勝則は早稲田大学を卒業後、若松に戻り、港で働く労働者のために、労働組合を作った。
玉井金五郎は人々の支援を得て、若松市会議員になっている。彼の腕には菊の花を掴んだ、青龍の彫り物がされているが、これは松山道後で酔いつぶれているとき、女入れ墨師にされたのだ。
「花と龍」は玉井金五郎の正義感と立ち回りが派手で、数多くの映画が作られている。
主役、玉井金五郎は鶴田浩二、辰巳柳太郎、村田英雄、石原裕次郎、中村錦之助、高倉健、渡哲也、高嶋政宏等が演じている。
高倉健さんは中村哲医師にあったことがあるようで、ほんとの九州男児だと言っている。
玉井金五郎の妻、玉井マンの役は石原裕次郎のときは浅岡ルリ子、中村錦之助のときは佐久間良子だ。
中村哲医師も自分の祖父母のことを書いた、叔父さんの小説は読んだことがあるだろうし、映画も数多く作られているから、観たこともあるだろう。
中村哲先生が貧しいアフガニスタンの人々のために、苦難をものともせず力を尽くしたのも、叔父さんの小説「花と龍」や映画も動機になっているかも知れない。

2021年10月15日

コメント

コメント一覧 (6件)

  • 村上さん、私も尊敬する中村哲先生のことを軽妙なタッチで述べられた村上さん特有のエッセイを拝読して感銘を受けました。本社人事部で机を並べていた頃の村上さんを知る者としては驚愕の至りです。当時(柳屋ビルに移ったばっかりの頃)の塩浜さんにお見せしたい文章です。先回いただいエッセイ集で東京までの電車に乗る際も地震他の対策で最低限の食料などを身につけていらっしゃることを伺って、私もエマージェンシーに遭遇した場合の対策を実行しています。小田急、京王線の特急内の事案でも、対応するに越したことはありません。村上さんの文章力もさることながら、その内容は考えさせられる事が多々あります。益々のご発展をお祈り致します。越智訓男

  • 村上さん ご無沙汰しております。
    エッセイ投稿ありがとうございます。
    久方ぶりに村上先輩の近況を拝察させていただくと共に、【花と龍」に関する考察など非常に興味深く拝読させていただきました。中々お目にかかる機会がありませんが、来年の総会ではお目にかかれることを願っております。どうぞお元気にお過ごしください。馬場範門

  • 村上さん、お久し振りです。エッセイ拝見し、大変懐かしく思いました。新貝勲氏には農産のメイト会でご講演頂いたことがあり、K2のお話を伺いました。夕食をご一緒したことを思い出しました。又、中村哲先生については女房が大のファンであらゆる書物を読みあさり、寄附までしている始末です。村上さんとは大阪時代お世話になりました。いつまでもお元気であることをお祈り申し上げます。

  • 私のつたないエッセイを読んでいただき、有難うございます。
    コメントをくださった皆様は私の思いでに残る、素晴らしい
    方々です。社友会が開催されたらお会いしたいです。
    どうか、いつまでもお元気で。村上博昭

  • 村上先輩、ご無沙汰しております
    エッセイ投稿拝読させて頂きましたよ
    福岡支店長時代に中村先生と関わりあった事、支援された事全く知りませんでした
    又新貝さんも懐かしく記憶するところであります
    中村先生とは定年退職後、福岡に帰って後少しの関わりを持たせて頂いた
    私の高校の同級生(九大医学部卒)がペシャワ-ル会の日本代表をやっていまして、講演会(聴衆)、寄付、送る会等少しばかりですが手伝わさせて頂いた
    本当に残念な人を亡くしたものです
    国民栄誉賞を上げたい位の人です
    何よりも、先輩の活躍を目の当たりにして嬉しくなりました
    これからもどうぞ元気で活躍されんことをお祈りしてます
                      福岡 古賀 求

  • 諸先輩 各位

    台糖ファイザー時代の1976~1987の11年間福岡県を担当していました、林です。1976年から1985年まで筑後地区を担当している際に、中村先生が大牟田労災病院に勤務されており、実はゼオペンの採用から処方(使用)まで中心になって助けてもらいました。私は仕事で本当に助けてもらい感謝しかありません。その当時の課長であった古賀さんも大牟田労災病院に足を運んでもらい、一度中村先生に面談しお礼を言ってもらったと記憶しています。
    今回村上さん(支店長)のエッセイを拝読し、懐かしくまた私の知らない中村先生の一面を知り感銘を受けました。また私個人は中村先生に何の恩返しも出来なかったのですが、台糖ファイザーが会社として、支援をしていた話を伺い少しだけ安堵した次第です。コロナが落ち着いたら大牟田へ行って中村先生の墓参りをと思っています。中村先生のご冥福をお祈りしています。

    村上さん、どうぞご自愛されこれからも元気でご活躍されることをお祈りしています。

    大阪 林 洋之祐 拝

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