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第三回「歩こう会」政治の街歩き後日談

6/5(火)社友会でお会いしました!

桜田門外の変で、井伊大老襲撃者水戸藩士に交じって二名の薩摩藩士がいました。
有村兄弟です。
なんと、この兄弟ゆかりの方が社友会会員でありましたよ。

兄弟について調べてみました。
襲撃者有村兄弟は有村俊斎(海江田信義)の弟で、雄介・治左衛門。
大老の首を取ったのは治左衛門、ですが、返り討ちに会い首を抱えたまま切腹もできず絶命。
雄介は薩摩藩士によって捕縛され薩摩に連行されますが藩命により切腹させられました。
兄の俊斎は生麦事件でイギリス人を殺し「薩英戦争」のきっかけを作ることになってしまった人だそうです。
海江田さんは1906年没、享年75歳となっていますから天命を全うしたといえるでしょうかね。

当社友会では、お祝いが頂けます。

声をかけていただいて舞い上がってしまいました。うれしかったです。
ありがとうございました。

お読みいただいた感想を下記にコメントいただけましたら幸いです。

コメント

コメント一覧 (8件)

  • これぞ現代につながる歴史ネットワークですよね。
    筆者の探求心にブラボー。  町田在住 橋山 髙昭

  • こんばんは。
    はい、桜田門外の変についてはレポに書いたことは覚えていましたので、直答できて
    よかったです。恥かかなくてすみました。
    この折は、今までに感じたことがない不思議な感覚を持ちました。
    歴史って、こんなこともできるのですわね!

  • いやまた、記事を拝見してびっくりしましたね!
    水戸藩士交じって薩摩藩士(有村治左ヱ門)ゆかりの方が社友会におられたとは驚きの至りです。 私メは故郷が薩摩で現在は水戸在住なので水戸藩と薩摩藩の関係には関心も持って
    いましたが何かの縁を感じます。映画「桜田門外の変」は水戸千波公園にロケスタジオが設営
    されロケ完了後、観光地として1年ぐらい開放されてましたよ。 
    どこでつながりがあるか本当に聞いてみてびっくりすことが世にはあるもんですね!

                      水戸市在住 深町泰治

  • こんばんは。
    お読みいただきありがとうございます。
    本当にねぇ、世間は狭いです。
    深町さんは「薩摩」って感じですね。

    映画のロケ地、見たかったです。
    水戸は偕楽園公園に行く予定の日に311の大地震で中止、それ以来ご縁がありませんが、
    折を見て行ってみたいです。

  • 水野様
    社友会では久しぶりにお目にかかれてうれしいでした。また、「政治の街歩き後日談」、拝見しました。お話したように有村(海江田)俊斎は私の母方の曾祖父にあたります。私にとって俊斎は会ったこともない明治維新に関わった人物の一人でしかありませんが、一歳一か月になる私の曾孫から見る私はどのように見えるのかちょっと気になるこの頃です。
    生麦事件では、供頭の一人として行列を先導していた俊斎が、島津久光の籠を守っていた奈良原喜左衛門らに切りつけられ重傷を負いながら逃げて来たリチャードソンが落馬して苦しむのを見かねて「武士の情け」と、とどめを刺したと聞いています。曾孫としてはそう信じたい気持ちです。桜田門外事件と生麦事件は良きにつけ悪しきにつけ明治維新を早めた二大殺戮事件と言われていますので、これに連座した有村俊斎、雄助、次左衛門・三兄弟(末弟の国彦は維新後実業界で成功しました)の行動は日本の歴史になにがしの影響を与えたものと思います。

    深町様は薩摩生まれで水戸にお住いと伺いました。実は水戸藩士に日下部伊三次という者がおりました。父親の海江田連は薩摩藩士でしたが事情があって水戸藩に移りそこで生まれました。両藩をよく知る伊三治は水戸藩と薩摩藩の仲介役を務めましたが幕府の知る所となり、安政の大獄で捕らえられ拷問を受け獄死、大獄最初の犠牲者と言われています。伊三治の長女、松は有村次左ヱ門の許嫁でした。そのような事情もあって薩摩藩士、有村兄弟が水戸藩士と共に桜田門外の変に関わることになったのでしょう。雄助と次左衛門が事件の後自刃切したため、代わって兄の俊斎が日下部家の養子になり。松を娶り、名も本姓の海江田と改名しました。そのような訳で私は松の曾孫でもあります。
    菊本 昭一

  • こんばんは。
    そうでしたか。なるほど。
    海江田という姓のいきさつがわかりました。
    松さんと、ご結婚なされて海江田となり新政府では役職についてご活躍でしたのですわね。
    安政の大獄の犠牲者!、幕末~明治にかけての「駒」でいらしたご一族といえますでしょうかしら。数奇な運命をたどられましたが現在の菊本さんにつながってきた!
    本当に事実は小説より奇なり、そのままですね。
    いやぁ、ありがとうございます。
    「古文書」など発現しましたら、拝見したく思います。古文書を読むのも趣味ですので。
    所謂、旧家、様には記録文書などあったりします。

    ご連絡ありがとうございました。

  • 実は明治の末期に海江田家では正妻と妾家との間でお家騒動があり、私共につながる正妻派の幸吉が本家を継ぎ子爵を襲爵、その他の資産一切を放棄しました。良く言えば実を捨てて名を守ったわけで、その結果残念ながらこちらには「古文書」などは一切残っておりません。因みに台糖の社長や台糖ファイザーの役員だった海江田一郎は幸吉の長男で私の母の兄にあたります。

  • こんにちは。
    あら~残念、そうでしたか。
    けれど、繰り返しになりますが、事実は小説より奇なり!!
    海江田一郎さんは叔父様であったのですわね。

    ファイザーも他に犬山城主の方がいたり、面白い経歴の方がいらしたようです

    ともかく、興味深く拝読しました。

      ご連絡ありがとうございました。

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