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輝け! リタイアメント・ライフ・シリーズ第17弾  江戸の坂から東京を視る   <散策の誘い>第1部   関根敏弘(鴻巣市)

港区赤坂薬研坂

港区赤坂薬研坂

定年を機に、健康を気遣って都内のあちらこちらを気ままに散策することが趣味の一つに加わりました。散歩の途中で必ず多くの坂道に出会います。それらの坂の中には江戸時代に起源をもつ「江戸の坂」があります。江戸時代には、今のように住所標示が無かったので、他人に住居などの所在を知らせるためには、坂道の名前が重要な役割を果たしておりました。
今や「江戸の坂」は、各区の教育委員会が歴史文化遺産として管理しており、坂の傍らには、坂の名前が書かれた立派な標柱が立てられています。
江戸、明治、大正、昭和、平成と時代の移り変わりとともにその姿も激変してしまいました。特に太平洋戦争時に破壊された東京の町そして昭和もバブル期に入って以降は、道路の改築が進められると同時に、大規模なマンション建設などが進められ、「江戸の坂」そのものも大きな変貌を遂げています。 [赤坂薬研坂ストリートビュー]

 

「江戸の坂」が武家と庶民の生活に欠かすことが出来ない共有の財産として重要な役割を果たしてきたことを思うと、「江戸の坂」に大変興味を持つようになりました。参考資料探しをしていくと、「江戸の坂東京の坂」横関英一著とか「江戸東京坂道事典」石川悌二著の存在を知り、早速東京の地図を頼りに、カメラをぶら下げて町歩きを開始しました。今から10年余り前になります。「江戸の坂」の数はおよそ都内全域で500余ともいわれております。江戸の町は台地と低地が多く、坂の上には武家階級が、坂の下には町人階級がおもに居住していました。坂上の町と坂下の町では、まるで違った生活風景が広がっていた筈です。また、「江戸の坂」は、小説や物語の舞台にも登場します。
今回は興味つきない「江戸の坂」をテーマにして、散歩で撮った写真とともに皆さんにご紹介したいと思います。写真はあえてモノクロ写真に仕上げています。ご興味のある方は「江戸の坂」探しの小さな旅にお出かけになっては如何でしょうか?
テーマを大きく第1章から3章の3回に分けて、出来るだけ簡潔にお話を進めていきたいと思います。

⇒続く(ここをクリックすると第一章へ)

コメント

コメント一覧 (4件)

  • 関根様
    ご無沙汰しております。太田でございます。 関根さんのお名前を拝見して、とても懐かしくメールさせて頂きました。 お元気で江戸の町を散策されている様子が目に浮かびました。 在職中はとてもお世話になりながら、大変失礼な態度をとり、今でも反省しております。その後2社を経験しましたが、この時の経験を心に、無事に定年を迎え、現在も継続して働かせていただいています。
    また、お会いする機会がございましたら、よろしくお願いいたします。 お世話になりました。 

  • 関根さん、冒頭の赤坂薬研坂の写真を拝見して、一昨年6月広尾のIN STYLE PHOTOGRAPHY CENTERで、京都造形芸術大学の同窓生とご一緒に開かれた「御三家写真倶楽部 写真展」を思い出しました。確かに東京には数百個所の坂があり、各区の広報紙や多くの著作物に紹介されていますが、この先、関根さんの目から見た江戸、東京の坂の風景が見られるのを楽しみにしております。近年東京の坂は周囲のマンションや無機質のコンクリートの建屋に囲まれ、かつての坂の風情が失われつつあります。あえて希望を申し上げますと、かつての情緒を彷彿させる写真、例えば夏の日差しの中、日傘をさした和服の女性が一人、しかもモノクロで光と影のコントラストの強い写真などを期待します。越智訓男拝

  • 関根さん、
    前回は道祖神の写真展を鑑賞させて頂きました。今度は「江戸の坂」の特集と、もうすっかりプロの写真家の域に入ったようですね。私が浅草区立の小学校低学年の頃は、晴天の日に校舎の屋上から富士山が見えて先生は授業を中止して皆を屋上まで連れていき富士山を見せてくれました。今は銭湯からも定番の富士山の絵も消えつつあるようですね。

  • 暫く社友会のホームページにアクセス出来ず悩みました。過去にも屡そのような状態になり残念に思っていました。 本日は実に巧い具合に成功して久しぶりに懐かしい記事に接することが出来ました。 このままの状態が続いて社友会記事を常時閲覧できることを願っております。

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