ポルトガルの道巡礼(2)
(トマール~アゲダ)141㎞
(トマール~アゲダ)141㎞
2016年5月21日~27日
トマールの町に着いた。テージョ川の支流のナバォン川に沿ってポンテ・ヴェーリャ(旧橋)で左に曲がってセルパ・ピント通りに入った。真青の空、30℃を超えているかと思える暑い日射しが差し込む午後3時頃、“オスタル2300トマール”という宿に着いた。直ぐ宿を出て路地を散策し、レプブリカ広場にやってきた。町役場とサン・ジョアン教会が向かい合って建っていた。客待ちしていたトゥクトゥクと呼ばれる三輪バイクに乗り、女性ガイドの運転でトマールを見物した。
トゥクトゥクがトマール郊外に出ると、思いがけなく、歴史を感じさせる一連の水道橋(17世紀初頭に完成した。)が現れた。その後、この水道橋を通して水が供給されていたキリスト修道院(世界遺産に登録されている。)を訪れた。1147年にテンプル騎士団はここに堅牢な城塞と聖堂を築き、ポルトガルでの拠点としたそうだ。ポルトガル建築の粋が集約されていると言われるが、残念ながら開館時間を過ぎていて内部を見学できなかった。夕方も半袖シャツ1枚で寒くなかった。
オスタルに戻ると、ロサンゼルスからきた71才の男性が同室だった。翌日もここに泊まって、ファティマに向かうそうだ。オスタルの宿泊料は朝食付きで15ユーロだった。
コルティサで由緒ありげな建物があった。巡礼のガイドブックの地図にはカサ・トーレ(塔の家)と名付けられていたが、繋がった白壁の建物と併せて今何に使われているのか分からなかった。コルティサとはワインの栓に使われる「コルク」を意味する。注意を払ってきたが、巡礼の道ではコルクの原木となるコルクガシの木を見かけなかった。(ポルトガルはコルク全世界生産量の52%を占めているそうだ。)
アルヴァィアゼーレに着いたら、カフェの外のテーブルで若いカップルが休んでいた。この日の宿、“レジデンシャル・オー・ブラス”の在り処を尋ねると丁寧に教えてくれた。歩き出したら、男の人の方が車で追っ駆けてきて小生を乗せて宿まで送ってくれた。個室で宿賃は15ユーロ。“オー・プラス”はレストランを兼ねていて、スープ、焼き魚、サラダの夕食に、エスプレッソとりんごのデザートで10ユーロ。
アルヴァィアゼーレとアルヴォルジェの屋根付き共同洗濯場。集落ごとに共同洗濯場があると思われるほど、よく見かけた。洗濯している姿は一度も見かけなかったが、洗濯場の造りが新しいので今使われているのに違いない。
この日もベンダ辺りで、帽子から白髪がはみ出た男の人に追い抜かれた。ハローと小生に声を掛けてたちまち歩き去った。この辺りでポルトガルの道では最も高い標高470mの地点を越えた。
ゆるやかに流れるモウロス川に沿った巡礼道。ここで巡礼の道を逸れるとローマ時代のコニンブリガの遺跡があるのだが、前日からお腹の調子がよくなく、立ち寄る元気がなかった。
モンデゴ川に架かるサンタ・クララ橋を渡ってボルタジェン広場に着いた。メインストリートを抜けると5月8日広場に出た。この近くのレジデンシャルに宿泊を求めたが、満室と断られた。それではアルベルゲへと思ったが、地図上の在り処が分からなかった。なれば、中心街から2㎞離れているが、ユースホステルに泊まることにした。バスに乗り、最寄りのバスストップで降りた。直ぐ近くなのになかなかたどり着けなかった。通りに面してPousada de Junventude de Coimbra(コインブラ・ユースホステル)との表示がなかったからだ。手持ちのガイドブックに建物の写真があったのでやっと探し出せた。
チェックインすると、今回の旅で初めて日本人に出合した。熱海から来たMさんが相部屋だった。こう見えても68才だと言った。確かに60才前後に見えた。最近両親を次々と亡くしたばかりで、その供養にと巡礼に来た。5日間毎日30㎞歩いて疲れてしまったので、このユースホステルに連泊した。翌朝目覚めたら、Mさんは鼻歌を歌いながら出かける支度をしていたが、8時前にいなくなった。羨ましいことに、今回彼はサンティアゴまで歩き通すそうだ。
依然腹の調子がよくないので、受付にもう一泊頼んで昼過ぎまでベッドでうとうとした。
日本から持参した胃の薬を飲んできたが、効いた気がしなかった。「ポルトガル語の指さし会話帳」からポルトガル語で“食欲がない”“吐き気がする”“胃がちょっと痛い”“胃の薬を飲みたい”を紙片に綴った。午後ユースホステルを出て薬局に立ち寄り、紙片を中年の女性店員に示した。すると、とろりとした水薬の分包が出された。
それから、コインブラ大学構内と周辺を散策した。知る人ぞ知るジョアニア図書館へは入場する元気がなかった。
チェックインすると、今回の旅で初めて日本人に出合した。熱海から来たMさんが相部屋だった。こう見えても68才だと言った。確かに60才前後に見えた。最近両親を次々と亡くしたばかりで、その供養にと巡礼に来た。5日間毎日30㎞歩いて疲れてしまったので、このユースホステルに連泊した。翌朝目覚めたら、Mさんは鼻歌を歌いながら出かける支度をしていたが、8時前にいなくなった。羨ましいことに、今回彼はサンティアゴまで歩き通すそうだ。
依然腹の調子がよくないので、受付にもう一泊頼んで昼過ぎまでベッドでうとうとした。
日本から持参した胃の薬を飲んできたが、効いた気がしなかった。「ポルトガル語の指さし会話帳」からポルトガル語で“食欲がない”“吐き気がする”“胃がちょっと痛い”“胃の薬を飲みたい”を紙片に綴った。午後ユースホステルを出て薬局に立ち寄り、紙片を中年の女性店員に示した。すると、とろりとした水薬の分包が出された。
それから、コインブラ大学構内と周辺を散策した。知る人ぞ知るジョアニア図書館へは入場する元気がなかった。
朝歩き始めたときは、胃の具合がよくなったと思われたが、後半何度か吐き気を催した。それでも、この日は26㎞歩いて、やっとの思いでメアリャーダのアルベルゲ・ペレグリノス・エ・レジデンシャル・イラーリオに着いた。シャワーも浴びずにアルベルゲ仕様の二段ベッドに寝袋を敷いて1時間ほど横になった。それから同じ経営のレストランで夕食をとった。ミートのサンドイッチ2個とスープ。サンドイッチは1個食べて、1個は持ち帰りにしてもらった。それでも、セルベージャ(ビール)は飲んだ。宿泊10ユーロ、夕食9ユーロだった。
切通しの坂道を下って行くとアゲダ川に行き当たった。ベラ橋を渡るとアゲダの街路に入った。曇り空の下、人通りは疎らだった。体調の良くないことも相俟って街路は陰鬱な感じが漂っていた。この日25㎞歩いて、街路の外れにあるレジデンシャル・クレステに着いた。若い女性管理人が受付けてくれた。レジデンシャル(個室)とアルベルゲ(1部屋に2段ベッドがいくつかある。)があったが、同部屋の人を煩わさずに身体を休めたかったので個室を選んだ。珍しいことに近くのレストランからバイクで食事を出前してくれると言うので、サンドイッチとスープを頼んだ。宿泊25ユーロ、出前12.5ユーロだった。
翌朝、依然腹の調子が良くならない。朝食にミルク、ジュース、パン1個をやっと食べて、薬を服用。ポルトまで約80㎞を残してこれ以上歩くのを断念。残念無念。色鮮やかな傘が街路上に浮かぶアート・フェスティバルが催される7月にアゲダに戻ってきたい。小柄で明るい管理人がSDSでポルトまでの列車の時刻を検索してくれた。アべイロまで1日3本の列車があり、11時20分発に乗った。アベイロで乗り換えてポルトのサン・ベント駅に着いた。
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後日譚
ポルトで2泊、高速バスでリスボンに戻って4泊した。そのうち食欲が出てきた。ポルト、リスボンでは市内散策で過ごした。リスボンの一日、鉄道と路線バスを乗り継いで、ユーラシア大陸の西の果て、ロカ岬を訪れた。もう1日、日帰り観光バスに乗って、オビドス、ナザレ、バターリャ、ファティマを巡った。(民間観光バスだが、65才以上はツアー料金30%割引の61.5ユーロだった。)帰国後、定期検診で胃カメラ検査を受けたところ、潰瘍ができていた。薬を服用して完治した。
Google Map
トマール Tomar
アルヴァィアゼーレ Alvaiazere
アンシアォン Ansiao
コインブラ Coimbra
メアリャーダ Mealhada
アゲダ Agueda
ポルト Porto
アルヴァィアゼーレ Alvaiazere
アンシアォン Ansiao
コインブラ Coimbra
メアリャーダ Mealhada
アゲダ Agueda
ポルト Porto






































































