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サンティアゴ巡礼の旅日誌より

ポルトガルの道(1)
(リスボン~トマール)155㎞
2016年5月14日~5月20日
 
コメルシオ広場前のアルセナル通り

コメルシオ広場前のアルセナル通り

早朝にイスタンブール・アタチュルク空港を飛び立ったトルコ航空機は、4時間後に曇り空のリスボン空港に着陸した。直ぐ空港バスに乗り、プラタナスの並木に覆われたリベルダーデ通りを経て、30分ほどしてコメルシオ広場際で降りた。巡礼の帰りにリスボン(ポルトガル語ではリシュボーア)に立ち寄るので、市街地散策はそのときの楽しみにして、直ちにポルトガルの道巡礼に旅立った。m_lis

 
 
 
 
 
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先ず、巡礼の出発点となるアルファマ地区にあるカテドラルを訪れた。薄暗い内部には大勢の観光客がいた。日本で発行してもらったクレデンシャル(巡礼手帳)に最初のスタンプを押してもらった。
 
 
 
 
 
 
img_2391カテドラルの建物の側面に最初の黄色い矢印があった。オレンジの並木に沿って矢印の方向に歩き始めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
img_2407img_24261時間ほど歩くと、国立アズレージョ美術館が左手にあった。入口へ誘う通路には椰子の木やオレンジの木が植えられ南国情緒が醸し出されていた。アズレージョとは装飾タイルのことで、もともとアラブに由来し、スペイン経由でポルトガルにもたらされた。アズレージョはこの先いたるところで目にすることができた。この美術館はマドレ・デ・デウス教会を改装したもので、14世紀以降のアズレージョを展示している。
 
img_2431礼拝堂であった部屋は、天井も壁面上部も金色の飾りと絵画で覆われていて、壁面の下の方が物語性のあるアズレージョが嵌め込まれていた。
 
 
 
 
 
 
 
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かつては車の行き来、人通りも多かったと思われる下町の雰囲気の残っている旧道を進んだ。町中ペンキの落書きが多いのにはびっくりした。
 
 
 
 
 
 
 
img_2460img_2463鉄道線路沿いの道を進むと、前方に白い骨組みにガラスを張ったような屋根の駅ホームが見えてきた。駅舎全体も近代的なデザインだ。このオリエント駅は1998年のリスボン万博に合わせて開業したそうだ。国道を隔てて同じスペインの建築家によるヴァスコ・ダ・ガマ・ショッピングセンターの賑わっている店の間を通り抜けて、万博跡地の国際公園に出た。
img_2474目の前に果てしなく広がったテージョ川があった。河口から12.3㎞遡った地点だが、広大な入り海のようだった。この夜、モスカビデのユースホステルに朝食付き15ユーロで泊まった。
翌日、テージョ川河畔に戻り、長いヴァスコ・ダ・ガマ橋の橋脚の下を通った。ヴァスコ・ダ・ガマ橋は選りに選って川幅のかなり広がった部分に架けられたものだ!1998年開通、全長17.2㎞、ヨーロッパ最長の橋だそうだ。
 
 
 
 
道標には黄色い矢印(サンティアゴ)と青い矢印(ファティマ)が

道標には黄色い矢印(サンティアゴ)と青い矢印(ファティマ)が

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
img_2517img_2541サカヴェンからテージョ川支流のトランサオン川沿いを辿り、やがて、草花の茂る土手道に入った。小鳥が頻りにさえずり、カエルの鳴き声が聞こえた。前の週に大雨が続いたそうで、道は滑りやすく、不覚にも二度転んだ。先方から5,6人の集団のサイクリングがやってきてすれ違った。
 
img_2561テージョ川の広い河川敷で柵に囲まれているところに行き当たった。入口にプライア・ドス・ぺスカドレス(釣り人の浜)とともに、パルク・リネアル・リベイリノ・ド・エスツアリオ・ド・テージョ(テージョ川河口の線形リバーサイド公園)と長たらしい表示があった。入口周辺にはほんの印ばかりの花壇があり、長い木橋の他は何もなく、ウォーキングする人たちのみ。あとは、広々とした荒地のなかの道が続いた。
 
 
 
 
img_2564img_2575昼間、カフェ(スペインのバルに当たる)で休憩したら、地元の客も店の人もテレビのサッカー試合の観戦に夢中になっていた。地元のチーム同士の対戦だと言っていた。だとすると、リスボンを本拠地とするベンフィカとスポルティング・リスボンであったに違いない。その日は、ベルデラ・デ・バインの“オスペダリア・アルファ10”の個室に25ユーロで泊まった。夕食をとりにイタリア料理店に行くとき、次々と通り過ぎる車が行き会う車と盛んにクラクションを鳴らし合っていた。ロータリーの芝生で子供たちとその母親たち12,3人が車のクラクションに応えて小旗を振っていた。多分、この地域では皆、この日のサッカー試合で勝ったチームのフアンであったのだ。ポルトガル人のサッカー熱を垣間見る思いがした。
 
アンドラ駅

アンドラ駅

スチュワードと出会う

スチュワードと出会う

跨線橋上から化学工場の施設を背にしたアンドラ駅が見渡せた。消防署の脇を通り過ぎると広大なテージョ川の河畔に出た。そこから舗装された遊歩道となった。その時、小生と同じ年格好の男に声を掛けられた。スチュワードと名乗り、72才だった。3.5㎞ほどの道中、英語でゆっくり話してくれた。彼はオランダで生まれ育ち、パリで今の奥さんと出会い、ロンドンで14年間仕事をしていたこともあった。奥さんの故郷のこの地で、奥さんの介護をしながら晩年を過ごしている。毎朝6時からテージョ川河畔のウォーキングを日課としている。
 
img_2644遊歩道に沿って20枚ほど絵画の看板があった。そのひとつ、ビジャフランカの闘牛場を前にして闘牛場を描いた看板があった。スペインの闘牛との違いは、ポルトガルでは観衆の目の前では牛を殺さないそうだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
ビジャフランカ辺りのテージョ川

ビジャフランカ辺りのテージョ川

ビラ・ノバ・デ・ライナの集落のカフェでひと休みし、駅の跨線橋を渡って東側に出て、広い土道を進んだ。やがて、柵の開閉扉で道が遮られていた。だが、サンティアゴへの黄色い矢印とファティマへの青い矢印があり、扉を開いて通り抜けられるようになっていた。土道に蟻の行き来している見事な行列に出合った。この先、200mほどの間に、5,6列の蟻の行列が見られた。恐らく日にせいぜい10人ほどの巡礼者が通過するのみで、ここは蟻にとっては自由に行き来できる天国なのだろう。
 
 
 
 
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アザンブージャの教会

アザンブージャの教会

旧道に面しているアザンブージャの町役場

旧道に面しているアザンブージャの町役場

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
旧道の両側に木の柵

旧道の両側に木の柵

 
アザンブージャの町に到着した。旧道の両側に茶色に彩られた木の柵が設置されていた。家の壁に貼られていたポスターによると、2週間先の5月29日の日曜日に街中で牛を走らせるイベントがあるのだ。m_azb
 
 
 
 
 
 
 
 
img_2744img_2752朝7時過ぎに“レジデンシャル・フロル・ダ・プリマベラ”を出て、テージョ川方向に歩き進んだ。辺り一面が耕地、ところどころ荒地で、ぽつりぽつり農家の家屋があった。両手にステッキを突いて歩き進む巡礼の男が小生を追い越した。
 
 
 
 
 
 
 
路傍に咲き乱れるアマポーラ

路傍に咲き乱れるアマポーラ

レゲンゴ集落の入口にベン・ヴィンド(ようこそ)の看板

レゲンゴ集落の入口にベン・ヴィンド(ようこそ)の看板

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
バラダの教会

バラダの教会

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バラダの集落を通ったとき、テージョ川の川辺にコウノトリが2羽、巣で羽ばたいていた。不思議に思ったのだが、今回の巡礼中、他にコウノトリを見なかったばかりでなく、教会などの建物の屋根に巣をまったく見かけなかった。
 
丘の上にサンタレンの町

丘の上にサンタレンの町

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広い畑地のなかにぶどう畑も見られた。遠方の丘の上にサンタレンの町が見えてきた。あと8kmの地点でイタリア青年の巡礼者に追いつかれた。敬虔なカトリック信者のようで、これから聖地ファティマを訪れてサンティアゴに向かうとのことだった。彼の話だと、2017年はファティマ開基100年にあたるそうだ。m_sant
 
 
パトカーに先導される車に乗って

パトカーに先導される車に乗って

この日も30km近く歩いてきたので疲れ果てていた。丘の上のサンタレンの中心街まであと1.5㎞ほどの麓の道端で休んでいたら、車が止まり、運転していた男の人が声を掛けてきた。地元のポルトガル語で何と言っているのかと思っていると、ボンベイロ(消防士)という言葉が耳に入った。頭にぴんときた。車で消防署へ連れていくから、そこで今夜は泊まれと言っているのだ。数年前に調べたら、リスボンからポルトまでの巡礼路には宿泊施設が少ないため、地元の消防署で宿泊でき、YouTubeで消防士と巡礼者が交流している写真も見ることができた。今回、旅立ち前に調べてみると、ほとんどの消防署にはもう泊まれないとなっていた。男の人は休暇中の消防署員か関係者でもあるのかなと思い、可能なら泊まってみたかったので、車に乗り込んだ。ちょっと走ったら車を止めて、止まっていたパトカーに話しかけて先導させてしまったではないか。

 
救急車に添乗した消防士

救急車に添乗した消防士

消防署に着くと2,3人の消防士が出てきて、その男の人と話していたが、小生に英語で「なぜ、消防署に泊まりたいのか。」と聞いた。「この人に勧められたから。よければここに泊まりたい。」と言うより他なかった。サンタレンにはもう一か所消防署がある、と言って救急車に乗せられベッドに寝かされた。サイレンも鳴らさず走り出し、小生の指に器具を嵌めて脈拍を測り、自分のバイオリズムを知っているかとか何とか言われた。一市民の依頼を真摯に受け止めて対処してくれた。公僕そのものだ。小生は、迷惑を掛けてしまったと反省した。

 
 
 
サンタレンの新築の消防署、消防車はシャッターに遮られて見えなかった

サンタレンの新築の消防署、消防車はシャッターに遮られて見えなかった

建物は1年前に建てられ、町の中心街から引っ越してきたばかりなのだ。消防署らしからぬ端正な建物だ。受け付けてくれた若い女性署員に言われるままに5ユーロの寄付をし、2階のベッドルームに案内された。2段ベッドが4台あり、寝袋をザックから取り出した。隣の広いリビングルームを自由に使ってよいと言われたが、使いようがなかった。当たり前のことなのだがその後まったく構われず、ひとりぽつねんとしてつまらなかった。

 
 
 
 
 
 
サンタレンの町営市場、建物の壁にもアズレージョ

サンタレンの町営市場、建物の壁にもアズレージョ

翌日、消防署から巡礼の道へ戻るのに難儀した。地元の人に道を尋ねても巡礼路を外れているところでは、通じない。黄色い矢印を探すのに右往左往して、ポルタ・ド・ソル(太陽の門)を潜ってサンタレンの町を抜け出すのに1時間半ぐらい要した。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
サンタレンの巡礼路に戻った、どこにもポルトガル独特の石畳が

サンタレンの巡礼路に戻った、どこにもポルトガル独特の石畳が

サンタレンの丘の上からテージョ川の上流を望む

サンタレンの丘の上からテージョ川の上流を望む

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ぶどう畑の中の土道で両手にステッキを突いて歩く男に追い越された

ぶどう畑の中の土道で両手にステッキを突いて歩く男に追い越された

日本のように細かく区画された畑などは見かけない

日本のように細かく区画された畑などは見かけない

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
img_2902img_2907川面に木々が茂ったテージョ川がこの日初めて見えたとき、アジニャガの村に着いた。この日の宿泊先“カサ・デ・アザンジャ”へ地元のこじんまりした図書館の前にいた4人の子供たちが連れて行ってくれた。3つのベッドのある部屋で泊り客は小生のみ。広々したダイニングルームで、立派な食器で簡素だがフルコースの夕食だった。朝食も出て20ユーロ支払った。女主人は流暢な英語を話した。m_anyj
 
 
アジニャガを出発

アジニャガを出発

畑で一息ついている農民

畑で一息ついている農民

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コレガンのマトリス教会

コレガンのマトリス教会

コレガンの敷石の街路、人影がまったくなかった

コレガンの敷石の街路、人影がまったくなかった

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畑の散水機、コレガンの郊外で

畑の散水機、コレガンの郊外で

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サォン・カエターノでポルトガルの国旗を掲揚している建物があった。入口がカフェとなっていてミキサーでオレンジジュースを絞ってもらった。カフェの奥で若い女性3人が話し合いながら、電話でアンケートを取っている感じだった。もう一方の奥には恐竜を描いたポスターが貼られていて考古学資料館となっているようだった。
 
 
img_2958ここを出て直ぐに、蔦の絡まりアズレージョが見え隠れする建物の前を通った。由緒ありげな建物だなと思いながら通り過ぎてしまった。帰国後調べたら、キンタ・ダ・カルディガ(カルディガ農園)の地は、1169年アフォンソ・エンリケス王によってテンプル騎士団に与えられ、その後変遷を経て今日に至っている。Youtubeの動画でも紹介されている。足を止めて道の両側にある史跡を見てくればよかった。
 
 
 
 
 
img_2960トラクターに何人かの農夫が乗ったり、付き従って畑地に苗を植え付けていた。同様の光景が他でも見られた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
img_2964img_2963V.N.バルキナ。巡礼路でよく犬に吠えられた。この辺りでテージョ川を離れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
img_2979img_2987アタライアの街路のはずれに、この日泊まる“カサ・ド・パトリアルカ”があった。旧豪農の屋敷といった感じで、老女主人が受付てくれて、翌朝部屋の鍵をテーブルの上に置いて出て行くように言われた。あとは何のお構いもなかった。個室で25ユーロだった。洗濯機で衣類を洗濯してサンルームに干した。翌朝、食堂に用意されていたパンとコーヒーの朝食。m_ata
 
宿を出るとすぐ国の記念物となっている教区教会があった

宿を出るとすぐ国の記念物となっている教区教会があった

img_3001道はユーカリの林のなかに入った。ユーカリの木の成長は早く、しばしば伐採さてるそうだ。立ち木に描かれた黄色い矢印を見失って、エストラーダ(国道)に出てしまった。
ともかく北上すれば間違いがない。
 
 
ロウレンソの小さな礼拝堂は16世紀半ばに建てられたという

ロウレンソの小さな礼拝堂は16世紀半ばに建てられたという

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ロウレンソを過ぎると直ぐトマールの町に入った

ロウレンソを過ぎると直ぐトマールの町に入った

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(つづく)
 
ファティマへの寄り道

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img_4876リスボンに戻って、6月1日に日帰りバスツアーで聖地ファティマを訪れた。
1917年ファティマの3人の子供たち(10才、9才、7才)の前に聖母マリア が現れた。その後一連の奇跡の現象があり、ローマ法皇庁は聖母の出現と公認し、 5月13日はファティマの聖母の出現記念日とされた。
バジリカ前の広場。この日の広場は閑散としていたが、5月13日と10月13日 の大祭には10万人以上の人々で埋め尽くされるそうだ。m_fatema
 
 
バジリカ(聖堂)

バジリカ(聖堂)

バジリカの内部、正面にマリア像

バジリカの内部、正面にマリア像

出現の礼拝堂

出現の礼拝堂

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ろうそくの火が絶えない

ろうそくの火が絶えない

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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