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サンティアゴ巡礼の旅日誌より

最初の道→フランス人の道
(ティネオ - サンティアゴ・デ・コンポステーラ)
歩行:212㎞、バス乗車28㎞

2010年6月10日~6月23日

 

雨の降りしきるカンビエジョ辺り

雨の降りしきるカンビエジョ辺り

分岐点での道標 右手:オスビタス、左手:ラ・アジャンデ

分岐点での道標 右手:オスビタス、左手:ラ・アジャンデ

 

 

 

 

 

 

 

 

朝、そぼ降る雨のなか、ボレスのアルベルゲを出て集落を通り抜けた。1㎞ほど歩くと、道は二手に分かれていた。歩行距離が短いので右手のオスピタルスの山越えの道をとったつもりだった。しかし、やがて、ある筈のない集落が見えてきたので、道標を読み間違えてポーラ・デ・アジァンデに向かう道をとったことが分かった。こんな悪天候では折角の絶景も眺められないだろうと諦めがついた。(ボレス)(カンピエジョ
ポーラ・デ・アジャンデまで下る土の道で、何度か道一杯に水浸しになっている箇所に小生の短靴がずっぽり浸かった。(ポーラ・デ・アジャンデ

 

降雨が小道を流れる

降雨が小道を流れる

ポーラ・デ・アジャンデを貫く州道を進むと初老の男の人が立っていた。「ブエノス・ディア(こんにちは)」と声を掛けると、「マル・ティエンポ(悪い天気だ。)、マル・ディア(悪い日だ。)」と言って慰めてくれた。ホタテ貝の標識に従って左に土の道を取り、ニソン川の谷沿いを進んだ。4㎞ほど行くと雨で渓流は水嵩を増していたが、木橋が掛けられていたので難なく渡った。暫く進むと小道に激流が押し寄せていた。普段は水が流れ込んでいないのだ。無理をして足を踏み入れたら足を掬われるに違いない。州道に出る他ないと観念した。

 

 

 

小道に激流が押し寄せていた 写真で見ると、突破できたのではとの思いもするが

小道に激流が押し寄せていた 写真で見ると、突破できたのではとの思いもするが

辺りを見回すと右手に道が分岐していた。救いの神ありと、その道をどんどん登って行くと、車の行き交いする音が聞こえてきた。しめた、と安堵した途端登ってきた道は行き止まりになった。小道と州道の間は、州道沿いに住んでいる家の畑となっていて、小道に面した部分を囲ってしまっていた。樹木と雑草の生い茂った小道の右側と州道の間の崖をフーフー言いながら登ってやっと州道に出た。雑草に棘があって、雑草を漕いで手指がチクチク痛痒くなった。たちまち手の甲や指が膨らんで、しばらく治らなかった。

 

 

 

その州道に出ると、雨が強くなり風が出てきて、登って行くほどに霧がかかって見通しが悪くなった。3㎞ほどの登りだったが、とても長く感じて疲れ果ててしまった。立ち止まっては立ったまま休んだ。小休止を繰り返して歩を進めた。ペットボトルの水も尽きて、持参の缶ビールを飲んで喉を潤した。

濃霧のプエルト・デル・パロ

濃霧のプエルト・デル・パロ

晴れていれば素晴らしい山々の景色が展開していただろうに、濃霧で3,40m先しか見通しがきかない。州道を登りきって周囲が平になったら「プエルト・デル・パロ 1146m」と大きな標識が見えてきた。ポーラ・デ・アジャンデから標高差600mを登ったことになる。(モンテフラド

モンテフラド 晴れていればこんな眺望が(you tubeより)

モンテフラド 晴れていればこんな眺望が(you tubeより)

 

 

 

 

 

 

 

 

晴天下のモンテフラドを通れば(you tubeより)

晴天下のモンテフラドを通れば(you tubeより)

州道を下っていき、標識に従って左に土の道に入った。ずっと他の巡礼者と会わずひとりぼっちで心細い思いもしたが、絶え間なくホタテ貝と矢印の道標が巡礼路を導いてくれるので、見通しが利かなくとも迷わず進めた。モンテフラドの畜舎の並んだこじんまりした集落を、或るところは石垣を越えて通り過ぎて、どんどん下って行った。雨が降り続き、濃霧が垂れこめていて周りの景色をまったく望めない。何度も靴が水溜りに浸かった。

 

 

 

薄暗くなってきて、ラゴの村で州道に入った。あとは、ひたすら一路、州道を歩いてベルデュセドに着いたときは暗くなり街路灯が光っていた。9時を過ぎていた。(ラゴ)(ベルデュセド
州道が二手に分かれる地点でアルベルゲの在り処を見回していたら、女性2人が乗った車が止まって助手席の中年女性が降りて、つかつかと歩いてきた。そして道端の高さ3mほどの土手を元気よく駆け登って、瞬く間にもう一方の道に面したバルからアルベルゲのオスピタレイラ(女性の世話人)を連れてきてくれた。傘を開いて差し出すと、元気のよい女性は自分の腕と小生の腕を組んで、直ぐ裏手にあったアルベルゲまで連れて行ってくれた。ぶったまげた。どさくさで気が回らなかったが、その女性は雨に濡れて車まで戻ったようだ。グランダス・デ・サリメへ帰るところだと言っていたが、スペインには何とも素晴らしい女性がいるものだ。

修復したクレデンシャル

修復したクレデンシャル

修復したクレデンシャル

修復したクレデンシャル

アルベルゲでザックを開いて寝袋を取り出したら、寝袋の片側がびしょ濡れだった。クレデンシャル(巡礼手帳)も水浸しで、千切れていたし、ボレスのアルベルゲで押したスタンプがほとんど消えていた。10年前に買ったザックの防水カバーがぼろぼろになって役立たずになっていた。寝袋や着替えなど、ひとつひとつビニール袋にも入れていたのだが、密封されていなかったのだ。それほど、今日の雨はザーザーと降り続いていた。
シャワーを浴びていたら、10時頃、ボレスで同宿したスペイン人のトニー、ラモン、マルセロとミゲルが加わった4人がアルベルゲに入ってきた。近くのバルで飲んで帰ってきたのかと思ったら、彼らはオスピタルス・ルートを歩いてきて今着いたところだった。オスピタルス・ルートは山越えが長かったので相当きつかったようだ。若い彼らと違って老いぼれの小生がこのルートを辿っていたら、ひどい目に遭っていただろう。最初にルートを間違えたのは、大正解だった。このスペイン人4人組が、小生の水浸しの寝袋をスイッチの入った暖房機の上に吊るして乾かしてくれた。

ブスポールの礼拝堂

ブスポールの礼拝堂

ラ・メサで、中年女性の3人連れがやってきて教会の写真を撮っていた。この後、3人連れを追い越したり追い越されたりしたが、サリメ貯水湖への下り道で完全に抜かれてしまった。実は、こんなこと初めてだったが、朝起きてから腰が痛くなってきたのだ。湿ったままの衣類などでザックが重くなったのか。足の裏も肉刺ができたようで痛みを感じてきた。標高1000mほどの地点からサリメ貯水湖が前方下に見えてきた。貯水湖への道の下り始めからグランダス・デ・サリメまで頻繁に立ち止まったりして、どうにか歩を進めた。(ラ・メサ)(ブスポール

サリメ貯水湖まで下る(you tubeより)

サリメ貯水湖まで下る(you tubeより)

州道を離れて、林の中の小道を歩いて、グランダス・デ・サリメの村に5時半頃着いた。疲れ果てた。1日中雲が垂こめていたが、サリメ貯水湖以降ときどき小雨が降った。(グランダス・デ・サリメ

 

街に入ってすぐバルを見つけた。温かい牛乳を飲み一息ついた。そして、バルのおやじにクレデンシャルにスタンプを押して貰った。アジュンタミエント(村役場)の建物の1階の一部分がアルベルゲになっていた。オスピタレイロがいない、部屋に窓がなく照明もない、ただ泊まるだけだった。
すぐバルに戻った。広いスペースにいくつもあるソファーに十数人のお客が腰を下し、大型画面のテレビに映されていたサッカーのワールドカップ・南アフリカ大会の試合を観戦していた。オビエドに住むミゲルと同じテーブルを囲んだ。カニャ(生ビール)を2杯飲んだが、1杯はミゲルが奢ってくれた。バルの主人がピンチョス(串刺しにしたつまみ)を載せた皿を持って客の席を回っていた。日本の料理屋での「お通し」のようなものだ。

グランダス・デ・サリメのアジュンタミエント(you tubeより)

グランダス・デ・サリメのアジュンタミエント(you tubeより)

小生の片言のスペイン語でミゲルと話し合った。テレビがF1レースを写し出したとき、レースに出ているフェルナンド・アロンソはオビエド出身で過去2回、年間世界ランキング1位になっていると自慢気に話した。昨日のバルで木靴を見たと話したら、アストゥリアスとカンタブリアでは木靴をマデレーニャと呼ぶと教えてくれた。ベレー帽を被ったお年寄りが2人バルにいた。今まで歩いてきたとき気がつかなかったが、ベレー帽は、バスクに限らず、カンタブリア、アストゥリアスでも一般的に見られるそうだ。

 

 

 

グランダス・デ・サリメのサン・サルバドール教会(you tubeより)

グランダス・デ・サリメのサン・サルバドール教会(you tubeより)

今日の道中何回も行き会った3人連れの女性が隣のテーブルを囲んでいた。日本で発行されたクレデンシャルを見せてあげたら、きれいだと感心していた。昼間小生の歩きっぷりを見ていたのであろう。小生の汚い足を診てくれて、恐縮千万の思いだった。手当が必要と、アルベルゲに引き返し、薬剤、テープを持ってきて、手際良く処置してくれた。3人はフランス人で、そのうち2人は姉妹、しかも2人揃って女医さんだと、ミゲルが訊き出してくれた。

 

 

 

 

州道のアルト・デ・アセボ(you tubeより)

州道のアルト・デ・アセボ(you tubeより)

いつの間にか雨は止んだが、霧がかかって景色を眺めることができなかった。緩やかな登りの土道が続いたが、やがて歩道部分のない州道に出てさらに登った。10m先が見えないほど霧が濃くなった。思い掛けなく「アルト・デ・アセボ 1030m」の標識が濃霧の中に浮かび上がった。グランダス・デ・サリメは標高600m余りのところにあるから標高差400mは登ったのだ。数百メートル行くとアストゥリアス州とガリシア州の州境の標識がやはり濃霧の中に見えてきた。ほんの時折車が通るがスピードを抑えている。州道が通っているが人が住んでいる気配がない山奥だ。

 

 

 

ア・フォンサグラダのバルで

ア・フォンサグラダのバルで

再び州道に入ってア・フォンサグラダの村に夕方の6時頃に着いた。どんよりと曇って、涼しさを通り越して肌寒いほどだった。両側に家並の続く州道右側の歩道を歩いて行くと、州道の反対側のバルからラモンが顔を出して声を掛けてきた。ラモン、ミゲル、マルセロ、トニーが、バルの大型画面のテレビを前にしてカナダで開かれているF1のGPレースを観戦していた。イギリス人レーサーが1,2着を占め、オビエド出身のフェルナンド・ソレンソは3着だった。小生は初めて聞いた名前だが、日本の小林可夢偉は予選敗退でレースに出ていないと教えられた。スペインの若い人たち(20才代から30才代に見えたのだが)は皆、ワールド・サッカーよりもF1の方に興味があるようだ。(ア・フォンサグラダ
皆で1.5㎞先のパドロンまで歩いた。州道に面して2階建てのアルベルゲがあった。1階の共通スペースで4人のスペイン人とテーブルを囲んだ。ラモンはバレンシア出身だが、今は奥さんとバルセロナに住んでいる。
例によって名前を日本語で書いてあげた。ラモンは羅門、奥さんのマルタは、すぐに丸太が思い浮かんだが、それでは名前としては酷過ぎると思って、真留多と書いた。トニーからは、「ウステ・エス・グアパ」を日本語で何というかと訊かれた。「あなたは美しいです。」と教えた。トニーは何回も繰り返し声に出して覚えようとした。スペインではあまり親しくない間柄の女性を前にして、そんなことを平気で言えるのかなと一瞬思ったが、ああ、そうか。スペイン人に通じる筈ない。日本女性に言うつもりなのだ。親しい間柄で言う、「エレス・グアパ」なら、「君は別嬪だね。」と教えたのに。

パドロンのアルベルゲを出て、朝のうち小降りだった雨が霧となった。谷間の道は雨降りの水が残っていてひどく糠っていた。今日も一度、右足の靴を水の中にどっぷり突っ込んでしまった。山道を登りきると広々とした平地に石造建物の遺跡が見られた。

オスピタル・デ・モントウト修道院跡(you tubeより)

オスピタル・デ・モントウト修道院跡(you tubeより)

オスピタル・デ・モントウトである。先史時代のドルメン石の遺物もあるそうだが、一面に見られるのは17世紀に建てられた簡易宿泊用の修道院跡のようだ。

 

 

 

 

 

 

オスピタル・デ・モントウト礼拝堂の前でフランス人女医さんと

オスピタル・デ・モントウト礼拝堂の前でフランス人女医さんと

そこに、フランス人の女医さん一行3人がやってきた。小生の足の具合を訊かれた。テープが剥がれてしまったと言ったら、今夜カダボ・バレイラのアルベルゲで一緒になったら診てあげると言われた。彼女たちのカメラで、小さな礼拝堂をバックに女医さん二人との写真を撮ってくれた。帰国後、この写真をフランスのバイヨンヌから送ってくれた。この2,3日小生のカメラが使えなかったので貴重な一枚になった。
緑で覆われた丘陵地帯を進んだ。フォンタネイラからがとても長く感じた。丘を越えてガダボ・バレイラに着いたのかと思えば、また先に丘があった。3度はそんな思いをした。6時半頃カダボ・バレイラのアルベルゲに着いた。(フォンタネイラ)(カダボ・バレイラ

 

 

ガリシア州独特のオレオ(床面が長方形の高床式穀蔵)

ガリシア州独特のオレオ(床面が長方形の高床式穀蔵)

シャワーを浴びたら、フランス人姉妹の医者が小生の足の手当を始めた。すると、食事にすると呼ばれたので、足の手当を中断した。宿泊した12,3人が食卓を囲んだ。誰かがパスタを調理してくれたのだ。皆の盛り付けを見たら、やはり西洋人はよく食べるなと思う。小生は半分にして、と言ったのに、大盛りだ。パンと赤ワインも出た。食材もワインも誰かが差し入れてくれたのだ。食欲があまりなく、パスタを半分残してしまった。小生の使った食器も知らぬ間に誰かが片づけて洗ってくれた。
食後、フランス人姉妹(ベルナデッテとコンキータ)の医者は小生の足の手当を仕上げた。そして、明日は1日歩くのを止めて休養するようにとお告げがあった。サンティアゴへ到着するまで1日予備日を考えていたので、明日もこのアルベルゲに滞在することにした。アルベルゲは普通1泊しかできないが、病気、体調不良などの場合は延泊できるのだ。医者の診断なので問題なくもう1泊できた。

カダボ・バレイラ アルベルゲでテーブルを囲んで夕食後

カダボ・バレイラ アルベルゲでテーブルを囲んで夕食後

カダボ・バレイラ バルのテーブルを囲む

カダボ・バレイラ バルのテーブルを囲む

 

 

 

 

 

 

 

 

日本対カメルーン戦の記事が載った地元の新聞

日本対カメルーン戦の記事が載った地元の新聞

カダボ・バレイラのアルベルゲでぼんやり過ごしていた。ボレスのアルベルゲで顔を合わせていたイタリア人のアンドレアが、午後このアルベルゲに着いた。アンドレアはもうひとりのイタリア人、ビットリオ、スペイン人のエバリスト、フランス人のロジャーと道連れだった。4人とも60代後半で小生と同じ世代だった。彼らと近くのレストランへ行った。戸口から入ると、バルの仕様でカウンターがあった。バルのテレビ画面にワールド・サッカーで日本がカメルーンに1対0で勝ったとテロップが出ていると、アンドレアに教えられた。すると、我知らず、ブラボー!とガッツポーズをしていた。
夕方、バルへ行くと、地元の新聞が置かれていた。ワールド・サッカーの日本対カメルーン戦の記事がタブロイド版の3分の1ページを使って載っていた。その記事の載ったページをバルの女主人に頼んで切り取ってもらった。「日本はカメルーンのエムパナーダ(ミートパイのこと)を利用して、歴史的勝利を獲得した。」と小生には理解不能の見出しだった。

 

 

 

ルーゴの城壁のサンペドロ門 ルーゴの旧市街は城壁に囲まれている

ルーゴの城壁のサンペドロ門 ルーゴの旧市街は城壁に囲まれている

ルーゴ

ルーゴのカテドラル

ルーゴのカテドラル

 

 

 

 

 

 

 

 

サン・ロマン・ダ・レトルタのアルベルゲのオープンを待つ

サン・ロマン・ダ・レトルタのアルベルゲのオープンを待つ

ロマネスク様式の建物の礼拝堂の前を通り過ぎ、小道に入ったらサン・ロマン・ダ・レトルタのアルベルゲが現われた。12時前に着いたが、アルベルゲのオープンは午後1時と貼り紙があった。先着した4,5人の巡礼者と小道に座り込んだり、日当たりのよい石垣に腰掛けて、のんびりと過ごした。巡礼の旅でも、昼の早い時間にアルベルゲに到着して、寝るまで気ままに過ごすのが最高の幸せなひと時だ。

馬による巡礼が通り過ぎた

馬による巡礼が通り過ぎた

アルベルゲの裏側は牧草地に木々が疎らに生えていて日陰をつくっていた。牧草を目指して牧童が数頭の牛と3頭の羊を追い込んできた。牧童と言っても小母さんだ。そこに巡礼者を乗せた馬数頭がやってきて、牛たちを隅に追いやって、通り過ぎた。

 

小川に架かるローマ橋(you tubeより)

小川に架かるローマ橋(you tubeより)

ホタテ貝の矢印に従って車道を逸れて土道に入ると、小川に架かる雑草に覆われた幅3メートルほどのローマ橋があった。二千年の歴史があるというが、50年前に造られたと言われても信じられるほど、何の変哲もない橋だ。

メリデ

 

 

 

 

モンテ・ド・ゴソのモニュメント

モンテ・ド・ゴソのモニュメント

前方の小高い丘にモンテ・ド・ゴソのモニュメントが小さく見えてきた。これは、ローマ法皇ヨハネ・パウロ2世が法皇として初めてサンティアゴ・デ・コンポステーラを訪れたことを記念して、1993年に建てられたモニュメントである。

 

 

 

 

 

 

 

メリデでガリシア名物、プルポ・ラ・フェイラ(茹蛸料理)を食す

メリデでガリシア名物、プルポ・ラ・フェイラ(茹蛸料理)を食す

モンテ・ド・ゴソのカフェテリアを出たら、野外のテーブルを囲んでいた若い女性たちのひとりが、にっこりと笑顔を見せた。小生を同国人と思ったのかも知れない。韓国からサンテイアゴ巡礼の旅にやってきた若い女性4人だった。最初からの2人連れとあとの2人はひとり旅だったが、「フランス人の道」の巡礼途上で一緒になったそうだ。

韓国女性たちとテーブルを囲んで

韓国女性たちとテーブルを囲んで

皆生ビールを飲み終えていたので、カフェ・コン・レチェを奢り、小生は生ビールを飲んだ。韓国女性とお互いに下手な英語でたわいのないことを話し合った。彼女らの控え目な態度に好感を持った。
[ 韓国人のサンティアゴ巡礼者数が激増している。2005年韓国人28人(日本人278人)、2010年1,493人(796人)、2015年4,072人(1,197人)]

巨大なアルベルゲ 第29棟に泊まった

巨大なアルベルゲ 第29棟に泊まった

 

 

 

 

 

 

 

 

巡礼オフィス(サンディアゴ・デ・コンポステーラ)

巡礼オフィス(サンディアゴ・デ・コンポステーラ)

巡礼証明書

巡礼証明書

サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着後、巡礼オフィスでコンポステーラ(巡礼証明書)を授与され、カテドラル(大聖堂)で正午からの巡礼者のためのミサに臨んだ。ミサの終わりにパイプオルガンの演奏とソプラノ独唱に乗せてボタフメイロ(大香炉)が左右に大きく大きく振られた。ボタフメイロの終わりに、なんと、参列者から拍手が沸いた。

 

 

 

カテドラルの内部

カテドラルの内部

オブラドイロ広場で広げられた日の丸の旗

オブラドイロ広場で広げられた日の丸の旗

ベルギーからドライブでスペイン旅行にきていたマイテ、イヴァン夫妻とオブラドイロ広場で落ち合った。夫妻とは3年前に「北の道」の最初のルートを一緒に歩いたのだ。五つ星のパラドール(国営ホテル)の外にあるカフェテラスでビールを飲んだ。夕日がカテドラルにあたり、黄色く染めて美しかった。カフェテラスを出たら、丁度ホテルマンがパラドールの前に掲揚してある万国旗を次々取り込んでいて、最後の日の丸の旗を下しているところだった。マイテ、イヴァン夫妻とホテルマンが日の丸の旗を広げたところを写真に撮らせてくれた。

 

カテドラルの屋上ツアー

カテドラルの屋上ツアー

翌日もマイテ、イヴァン夫妻とカテドラルに入り、正午からの巡礼者のためのミサに参列した。ボタフメイロの儀式が始まる前に、マイテ、イヴァン夫妻を残してカテドラルを出た。そして、カテドラルの屋上ツアーに参加した。
約20人が屋上ツアーに集まった。ガイドに導かれて、かつては巡礼者が寝泊まりした窓のない薄暗い部屋などを通って屋上に出た。すっかり晴れ上がって、暑い日射しがカテドラルの屋根を照らしていた。屋根の上から見えたキンターナ広場の聖なる門、ポルト・サンタの前に大勢の人々が行列をつくっていた。

 

 

カテドラルの威容

カテドラルの威容

サンティアゴ・デ・コンポステーラ

 

 

 

 

 

 

 

グーグルアース ストリートビュー

1)Tineoティネオ
2)Campielloカンピエジョ
3)Borresボレス
4)Pola de Allandeポーラ・デ・アジャンデ
5)Montefuradoモンテフラド
6)Lagoラーゴ
7)Berducedoベルデュセド
8)La Mesaラ・メサ
9)Buspolブスポール
10)Grandas de Salimeグランダス・デ・サリメ
11)Castroカストロ
12)A Fonsagradaア・フォンサグラダ
13)Fontaneiraフォンタネイラ
14)O Cadavoカダボ・バレイラ
15)Lugoルーゴ
16)Melideメリデ
17)Arzuaアルスア
18)Santa Ireneサンタ・イレーネ
19)Santiago de Compostelaサンティアゴ・デ・コンポステーラ

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