サンティアゴ巡礼の旅日誌より
大島米次郎 北の道(アンダイエ - サンタンデール)
2007年8月16日~8月31日
参照スペイン全図
パリのモンパルナス駅でTGVに乗り、5時間余り後、フランスの西南端、ビスケー湾(スペインではカンタブリア海)に面したスペインとの国境の町、アンダイエの駅に降り立った。駅舎ではベルギーから来たマイテ、イヴァン夫妻が待ち受けていた。62歳になるマイテとは、2年前にサンティアゴ巡礼路の「フランス人の道」で出会い、後から数人の巡礼者も加わって、一緒にサンティアゴ・デ・コンポステーラまで歩き通した。 サンティアゴ巡礼の道をまた歩きたいとの思いを捨てきれず、今度は「北の道」をサンティアゴまで800㎞歩き通す計画を立てた。ところが、「1ヶ月も、2ヶ月も留守にしないで。そもそも、歳を考えたら。」と山の神から思わぬお告げがあり、泣く泣くサンタンデールまで300㎞の「区切り巡礼」となった。10日目のカストロ・ウルディアレスでマイテ・イヴァン夫妻は巡礼路から去り、小生独りでサンタンデールに達した。(画像:フランス国境のアンダイエ駅)
朝、アンダイエの駅前ホテルからマイテ、イヴァン夫妻と出立。直ぐに国境のサンジャック橋(スペイン語ではサンティアゴ橋)を渡った。かつての検問所の跡形もなく、車はすいすいと通過する。フランス側もスペイン側も、昔からバスク人が住みついていて、そもそも国境は歴史の流れのなかで人為的に創られたものなのだ。
朝、コンチャ湾を見納めて、アルト・デ・イヘルドまで登った。舗装道路を進むと、道端にテーブルがあった。テーブルの上には飲料水の入ったペットボトルが何本か置かれていて、欲しい人は持ち去れるようになっていた。目の前の家からあご髭の見事な男が出てきた。ホセ・マリアと名乗り、イヴァンと小生の肩を組んでベサ・メ・ムーチョを歌い出した。小生には巡礼の印となる帆立て貝がないと見て、家から持ってきてザックの背に紐で吊るしてくれた。まさに、四国遍路の「お接待」と同じ、地元の人の心遣いだ。
スマイアでは、だだっ広い室内体育館に、無料で泊まった。
(Markina・Xemein) (Bolibar) 標高300mぐらいの丘から一気に下ってデバの街へ。この日、闘牛が催された。14ユーロ払ってソンブラ(日陰)席で見物した。町役場前の四角形の広場を仮設の闘牛場にして、うまい具合に役場のバルコニーが主賓席になっていた。周りの住居ビルのベランダからも、多分無料で観客が楽しんでいた。ブラバンの演奏による闘牛士の入場行進から4頭の牡牛が殺されるまで、初めての見物で、闘牛士と牡牛の真剣な駆け引きに魅せられた。正規の闘牛は6頭の牛が刺殺されると聞いていたので、いわば「地方巡業」では省略されていたのだろう。
オラツのバルで軽食をとった後、舗装道路を進み、やがて土の道となり、海抜500m近くまで登った。雨は小降りになったり本降りとなったりで、止むことがなかった。森林に覆われた山々に霧が流れた。山道で野犬が数匹固まってわんわん吠えながら我々に向かってきた。大きな犬は吠え続けて走り去ったが、黒色の子犬と白黒斑の子犬が我々についてきた。痩せ細ってかなり空腹のようだが、3人とも餌となるような食べ物を持ち合わせていなかった。 結局、子犬は5㎞以上の道をついてきた。ベルギーなら警察が保護してくれると言って、マルキナの街に入ると、マイテ、イヴァン夫妻は派出所を見つけ出した。警官と暫く話して 子犬2匹を残してきた。
ゲルニカ(バスク語地名:ルモ)のアルベルゲに着いてから灯の燈る街中に出てレストランで夕食。アルベルゲへ帰ってきたら、アンが平和博物館で「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」が催されていると言って、そのパンフレットを小生に渡してくれた。パンフレットは4ヶ国語(スペイン語、バスク語、英語、フランス語)を併記してつくられていた。アルベルゲにポスターも貼られていた。ゲルニカは、スペイン内戦中にナチス・ドイツの史上初の無差別爆撃によって人口7千人のうち1652人の死者を出したのだ。(ゲルニカ市) 平和博物館は朝10時開館なので、先を急ぐ小生は残念ながら見ていけなかった。
標高350mのモンテ・アブリルを越えてビルバオ(バスク語地名:ビルボ)に近づくと雨は止んだ。午後早くにアルベルゲに着いて、市バスで中心街へ出た。ビルバオ川右岸の広い遊歩道を歩いて行った。前衛的とか近未来的と修飾される建物で有名なグッゲンハイム美術館が対岸に現れてきた。建物の周りをぐるりと回って正面に出ると、沢山の生花(土に植えられた花々)に色取りされた高さ数メートルの「子犬」があった。これも芸術家の作品なのだ。 アバンド駅の方へ歩いて行くと、祭りの衣装の男たちに引かれて着飾った馬がやって来た。この日はビルバオのフィエスタだと分かった。大通りにブラバンがやって来た。車の通行が止められ、やがて市街電車の行き来も止まった。アレナル橋の袂の広場で、バスクの民族衣装を着た男女の伝統舞踊が披露されていたので、大勢の観客に混じって見物した。その後、やはりバスクの伝統的な競技である、石を持ち上げたり木を切ったりする力くらべを見物した。(ビルバオ市)
バルに多彩なピンチョス(一口サイズの食べやすいつまみ)が並ぶ
アルベルゲで2ユーロ払って朝食をとった
ビルバオ川に沿って歩いて行くと、河口に近いポルツガレテの街が見えてきた。前方の両岸の鉄塔と鉄塔の間、高い位置に橋桁のようなものが渡されていた。あれ、何ぞやと思った。船の通行を妨げないように、水面から45mの高さに橋桁を設置している。橋桁からワイヤーで吊り下げられたゴンドラが人や車を乗せて川岸から川岸に移動する仕組みになっている。それで、このビスカヤ橋は「運搬橋」とも呼ばれる。1893年に開通、2006年に世界遺産に登録された。30センティモ(約45円)支払ってゴンドラに乗り、対岸に渡ってアルベルゲに入った。
昼下がりにリエンドのアルベルゲに着いて直ぐ近くのバルへ行くと、地元の男たちが寄り集まってカードゲームを楽しんでいた。夕方そのバルへ行くと、男たちはすっかり姿を消して、今度は奥さんたちがカードゲームに興じていた。(リエンド)
エスカランテの街に入って、アルベルゲになっているサンタ・クララ修道院の在り処を尋ねながら辿り着いたが、まったく人影がなく、ドアを叩いても誰も出てこなかった。手持ちの資料を見たら町役場にコンタクトするようになっていた。役場へ行ってみたら職員は皆帰ってしまったのか、掃除のおばさんのみ。もう一度引き返してきたら、丁度修道女が出てきた。アルベルゲに泊まりたいと言ったら、冷たく「オクパド!(満室)」の一言。スペインには嘘つき修道女がいる。あるいは、正真正銘の修道女がいた、というべきか。 エスカランテにオスタルはなく、ポサダが一軒あるのみ。仕方なくここへ泊った。三階の屋根裏部屋だがツインベッドに風呂もあって50ユーロ。 (エスカランテ)
ペドレーニャで乗ったフェリーは、深く切れ込んだサンタンデール湾を一跨ぎしてサンタンデールに着いた。 (サンタンデール市)
(以下は文中にあるグーグルアース、ストリートビューの画像リンクです。クリックすると、よりリアルに巡礼路の通る街・道の風景が体験できます) *ストリートビュー画面ではカーソルのドラッグとクリックによって移動可能です。
1)アンダイエ駅
2)San Sebastian
3)Getaria
4)Markina・Xemein
5)Bolibar
6)Gernika・Lumo
7)Bilbao
8)Castro Urdiales
9)Laredo
10)Escarante
11)Santander





























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