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サンティアゴ巡礼の旅(フランス人の道)

大島米次郎
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クレデンシャル(巡礼手帳)

クレデンシャル(巡礼手帳)

年来の想いが叶い、2005年8月18日にフランス・バスクの古い城壁に囲まれた山村、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーに着いた。巡礼オフィスでの面接で、アンケートの巡礼目的欄の「文化に触れ、精神的なものを求めること」に印をつけて、クレデンシャル(巡礼手帳)が交付された。

[グーグルMAP]  サン・ジャン・ピエ・ド・ポー

 

 

 

 

 

ピレネー越え(8月19日)歩行距離25㎞  

s90まだ夜が明けきらない7時半頃アルベルゲ(巡礼宿)を出て、旧城壁を通り抜け、歩行38日、850㎞の巡礼の旅に立った。「街道をゆく」でサン・ジャン・ピエ・ド・ポーへ来た司馬遼太郎は「ピレネー越えは、まことにけわしい。冬は、はげしく吹雪くことがあり、夜は狼も出た。」と中世の巡礼路について聞き書きをしている。

ピレネー山脈の端、標高差1250m、距離18㎞、放牧地の広がる緩やかな登りだったが、背負ったザックが13,4㎏あり、慣れないからだでとても疲れた。放牧された羊の群れの中を進むうちに突如ガスがかかって、心細くなった。やがてガスが晴れて、ブナ林のなかを通ると湧き水の飲み場があり、柵の出入り口を過ぎると、いつの間にか国境を越えてスペインに入っていた。レポエデール峠から一気に下ってロンセスバージェスのアルベルゲに着いた。

[グーグルMAP]  オリソン 聖母マリア像 移動販売車 十字架 ローランの泉 フランス人の道へ  ピレネー山脈/ロンセスバージェス イサンドーレ避難小屋 ロンセスバージェス

 

ロンセスバージェス(8月20日)~ブルゴス(8月31日)263㎞ 

ペンドン峠へ至る道

ペンドン峠へ至る道

朝暗いうちに雨具を着てロンセスバージェスを出発。巡礼のための黄色い矢印に従って歩いた。巡礼中この日のみ歩いている間ずうっと雨降りで、バスクの伝統球技「ペロタ」の屋根付きコートで雨宿りもした。

緑の木々が映えるアルガ川に沿って下り、パンプローナを通過。ヘミングウェイの「日はまた昇る」にサン・フェルミンの牛追い祭の一週間が描かれているが、この日は日曜日で店はどこも閉まっていて、あの人混みと熱気は嘘のように、人通りは閑散としていた。

シスール・メノールで広々とした眺めが開けた。青空の下、刈り取られて茶褐色の麦畑が広がるなかを標高780mのペルドン峠まで登った。峠には、巡礼の行列をかたどって鉄板でつくられたモニュメントがあった。歩いてきた東の方も、前方西の方も遥か彼方まで見渡せた。左右の尾根筋には風力発電の風車が並んでいた。

アルガ川に架かるプエンテ・ラ・レイナ(王妃の橋)

アルガ川に架かるプエンテ・ラ・レイナ(王妃の橋)

中世の街並みが色濃く残るプエンテ・ラ・レイナ(王妃の橋)、エステージャ(星降る町)、ロス・アルコス、ビアーナのアルベルゲに順次泊った。プエンテ・ラ・レイナの教会のミサに出席。多分日本人ということで、足を洗い拭う儀式に呼び出された。前の人に器の水で足を洗い拭ってもらい、小生は次の人の足を洗い拭った。昔からの巡礼に対する温かいもてなしのかたちだったのだ。

ログローニョでナバラ州からラ・リオハ州に変わった。緑豊かなブドウ畑が広がり、ボデガ(ワイン醸造所)を何か所も過ぎた。ブドウを一房もいで食べていた60才のベルギー女性、マイテと知り合い、サンティアゴまで道連れになった。

ナヘラの修道院の塔の上の巣にコウノトリが一羽見えたので写真に撮った。その後、巡礼路の傍らの教会の塔などに巣をよく見かけたが、コウノトリは皆、すでに南へ旅立ってしまっていた。サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダのカテドラルには、伝説に因んで生きた鶏が祭壇の上に飼われていて、ガラス越しに人目に曝されていた。

s158・・・この頃には、毎日の生活パターンが出来ていた。宿泊は、もう少し上等なオスタルやペンシオンもあったが、道中通して、アルベルゲに宿泊した。宿泊代は一泊3~6ユーロ、無料で寄付を仰いでいるところもあった。大部屋にベッド(二段ベッドが多かった。)が連なり、老若男女の区別なく利用。持参した寝袋を使う。朝7時半~8時に出発。朝食は、バルでカフェ・コン・レチェ(ミルクコーヒー)とボカディジョ(フランスパンでつくったサンドイッチ)が多かった。休憩も昼食もバルで、水代わりにビールもよく飲んだ。14時~17時に宿泊地着。巡礼手帳にスタンプを押してもらう。シャワーを使い、着替え。洗濯をして干す。街路の散策をし、知り合った人たちとバルのテーブルを囲んでビールを飲み、至福のひと時を過ごした。夕食は、レストランで巡礼者のためのメヌー・デ・ディア(定食)。と言っても、前菜、メインディッシュ、デザート、ワイン、水つきで7~8ユーロ。日没は21時近く、22時には就寝。・・・

メキシコ娘のマリアとブラジル娘のレナタとオカの森を歩いた。巡礼者がつくったのであろう、石ころを並べて置いた大きな矢印が砂利道の中央にあった。カミーノ・デ・サンティアゴで最大の都会、ブルゴスで一泊。世界遺産となっているカテドラルの雄姿は、昼見ても、夕暮れ時も、明け方見ても異なる光が当たり見事だった。

[グーグルMAP]  ブルゲーテ ラ・トリニダッド・デ・アレ パンプローナ アルベルゲ(シスール・メノール) ペルドン峠 サン・ファン・バティスタ教会(オノバス) プエンテ・ラ・レイナ 王妃の橋(プエンテ・ラ・レイナ) クルシフィホ教会(プエンテ・ラ・レイナ) ローマ橋(シラウキ) エステージャ ワインの泉(イラーチェ) ロス・アルコス ビアナ ログローニョ ナバレッテ ベントサ ナヘラ サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ大聖堂 グラニョン ラ・ペニャ聖母礼拝堂(トサントス) ビジャフランカ・モンテス・デ・オカ サン・ファン・デ・オルテガ修道院 アヘス ローマ橋(アヘス) アタプエルカ マイルストーン(アタプエルカ) マタグランデの頂上 ブルゴス ブルゴス大聖堂

 

ブルゴス(9月1日)~レオン(9月8日)178㎞  

突然眼下に現れるオンタナス

突然眼下に現れるオンタナス

ブルゴスでは、すでにカスティージャ・イ・レオン州に入っていた。レオンまでの178㎞、標高800~900mの荒涼とした赤茶けた台地、メセタが続いた。日陰となる樹もなく、強い日射しのなかを歩いた。路傍の草も枯れ色となっていたが、よく見ると、色とりどりの小さな花々が咲いていた。

道に跨ってサン・アントンの修道院跡の朽ちた建物があった。小山の上の城址が遠くから見えた。イテロ・デ・ラ・ベガの泉で休んでいたら、目の前を羊の群れが牧夫に連れられて通った。こんな牧歌的な風景に幾度も行き当たった。

レディゴスを過ぎて、盛り土された古墳のようなかたちの昔のワイン蔵が道沿いにいくつかあった。カルサーダ・デル・コトから黄色い矢印を頼りにひとりで歩いていたが、道が二手に分かれていて、目指すベルシアノスを通らない道を歩いていることを、後からきたオーストリア娘二人に教えてもらった。鉄道線路沿いに道なき道を歩いてベルシアノスのアルベルゲに着いた。神父が営んでいるアルベルゲの集会で、スペイン語とフランス語で祈りの言葉を読んだ二人に続いて、用意された日本語の祈りの言葉を読まされた。小生以外、日本語の分かる者は居なかったのに。

レオンへ着いた日に、ステンドグラスの美しいカテドラルを訪れた。修道院の営むアルベルゲに泊ったが、珍しく、男部屋、女部屋、家族部屋に別れていた。この日の夕暮れに、路上にあるバルのテーブルを6人で囲んだ。マイテ、ロサ、マリア(この二人はガリシア育ちで、ケルト族の血が流れている。)、ペリ(ムルシア)、もうひとりのマリア(バルセロナ)。マイテ以外はスペインの娘たちだった。

[グーグルMAP]  タルダホス オルニョージョス・デル・カミーノ サン・アントン修道院 カストロヘリス モステラレスの丘(1) モステラレスの丘(2) イテロ・デ・ラ・ベガ ボディジャール・デル・カミーノ フロミスタ サン・ミゲル・ポブラシオン・デ・カンポス礼拝堂 サンタ・マリア・マグダレナ教会(ポプラシオン・デ・カンポス) ビジャルカサール・デ・シルガ カリオン・デ・ロス・コンデス レディゴス サアグーン 聖母マリア・ペラレス礼拝堂 ベルシアノス・デル・レアル・カミーノ アルベルゲ(ベルシアノス・デル・レアル・カミーノ) レリエゴス レオン レオン大聖堂

 

レオン(9月9日)~オ・セブレイロ(9月15日)152㎞ 

エル・アセボを通る

エル・アセボを通る

朝、レオンの市街地を歩き回り、サン・イシドロ教会の外観と城壁跡を見物し、カテドラルに入ったら、丁度ミサが始まった。ステンドグラスが朝日にあたって輝き、その趣きが前日とは違っていた。今は五つ星のパラドール(国営ホテル)となっている中世の修道院の建物の前を通り、ベルネスガ川に架かるサン・マルコ橋を渡ってレオンを立った。

アストルガに着いてから夜まで雨雲が垂れ込め冷たい風が吹いて肌寒かった。地元産のピンク色の石を使ってつくり直されたというカテドラルの内部に入るとパイプオルガンが演奏されていて荘厳な雰囲気であった。標高1100mを超えたところにあるラバナル・デル・カミーノに泊った。冷たい風が強くぶるぶる震えるほどだった。それでも、ミュンヘンから来た青年、クラウスとバルでビールを飲んだ。

廃村となったフォンセバドンを過ぎて、巡礼者が投げた石が周りに積み上げられた「鉄の十字架」でひと休みした。すぐ、カミーノ・デ・サンティアゴでの最高地点、標高1515mのイラゴ峠を越えた。廃村となったマンハリンに、たった一軒掘っ立て小屋があり、巡礼者は皆ここで休憩していた。小屋の親父に巡礼手帳にスタンプを押してもらった。ここから尾根道を徐々に下り、標高600mのモリナーセカに達した。途中、昨シーズンにも山火事にあったのかと思われる生々しい焼け跡が広がっていた。カカベロスからビジャフランカ・デル・ビエルソの間は何処も彼処もブドウ畑。一日中好天気。数人の労働者がブドウを収穫している畑もあった。何房か捥いで食べたが、熟れていて今までの道で一番美味しかった。

オ・セブレイロ、テーブルを囲む

オ・セブレイロ、テーブルを囲む

サンティアゴまで道連れとなるマイテ、ロサ、マリア、クラウスと一緒にベガ・デ・バルカルセからセブレイロ峠まで登った。山々は樹木に覆われ、道端の草も青々と生えている。いくつかの部落を通り抜けて、カスティージャ・イ・レオン州からガリシア州に入る道標を過ぎると直ぐ標高1320mのオ・セブレイロに着いた。スペイン人はサッカー・ファンに見られるように郷土愛が旺盛のようで、ガリシア育ちのロサとマリアは大喜びだ。ケルト風のレストランで夕食。ガリシア名物のガルド・ガジェーゴ(ガリシア風スープで味噌汁の味に近い。)とピミエントス・デ・パドロウ(シシトウを炒めたもので30個ほどのうち3~4個がピリピリとかなり辛い仕掛けになっていた。)ここで食べたのが一番美味しかった。

 

 

[グーグルMAP]  オスピタル・デ・オルビゴ アストルガ サンタ・カタリナ・デ・ソモサ エル・ガンソ ラバナル・デル・カミーナ アルべルゲ(ラバナル・デル・カミーノ) フォンセバドン 鉄の十字架 マンハリン アルベルゲ(マンハリン) エル・アセボ モリナセカ ポンフェラーダ カカベロス ビジャフランカ・デル・ビエルソ キリスト教教会(ビジャフランカ・デル・ビエルソ) ベガ・デ・バルカルセ アルベルゲ(ベガ・デ・バルカセ) ラ・ファバ ガリシアへ オ・セブレイロ

 

オ・セブレイロ(9月16日)~サンティアゴ・デ・コンポステーラ(9月22日)155㎞  

トリアカステラに向かって下るにつれて樹木が多くなる。栗の古木からなる並木道も通る。レンテで初めてオレオ(高床式穀蔵)に出会った。小部落を次々と通り過ぎて、様々なオレオがあった。壁に、木やレンガ、石やコンクリートを使い、かたちも皆微妙に違っていた。

メリデ、プルポ・ア・フェイラ(茹蛸料理)店のおばさん

メリデ、プルポ・ア・フェイラ(茹蛸料理)店のおばさん

サンティアゴまで100㎞の道標を過ぎて、牛の放牧に牧夫がじっと見張っているのどかな風景も見られた。この辺りのカミーノは人と家畜共用の通り道で、牛の群れにも二、三回出会った。ガリシアは年間を通じて雨が多く、霧もかかり易く緑が豊かといわれるが、幸い、歩いている間も、雨の街といわれるサンティアゴでも降雨に見舞われなかった。が、谷間にあるポルトマリンを出発する朝は、一寸先も見えぬほど霧が立ち込めた。メリデでは、ガリシア名物のプルポ・ア・フェイラ(茹蛸料理)を食べた。茹蛸専門のレストランで、おばさんが一手に茹でていた。独特のソースがかかっていて、食べて美味しかった。

サンティアゴに入る前の日は、モンテ・ド・ゴソ(歓喜の丘)まで37.8㎞を歩いた。ピレネー越えから数日は、右足の腿に痛みを感じたが、その後は快調で、足が勝手にどんどん進んだ。モンテ・ド・ゴソの広大な敷地に幾棟もあるアルベルゲ(通常、最大440人、ヤコブの年には800人の巡礼者の宿泊可能)に泊まった。

[グーグルMAP]  サン・ロケ峠 オスピタル トリアカステーラ サリア ポルトマリン パラス・デ・レイ メリデ 茹蛸料理店(メリデ) アルベルゲ(リバディソ) アルスーア アルベルゲ(サンタ・イレーネ)

 

サンティアゴ カテドラル

サンティアゴ カテドラル

9月22日の朝、4.4㎞歩いて、サンティアゴのカテドラルに到達した。巡礼オフィスで巡礼証明書が手渡された。暑い日射しの当たるオブラドイロ広場に座り込んで休み、雄大なカテドラルの建物を見上げた。カテドラルの内部に入り、正午から巡礼者のためのミサに出た。観光できた人々で一杯だった。ミサの儀式の前に、その日の巡礼者リストが発表された。「サン・ジャン・ピエ・ド・ポーからハポン(日本)1名」という具合に。ミサの最後に、ファンファーレの如くパイプオルガンの演奏が高まり、ボタフメイロ(大香炉)が焚かれて、カテドラルの天井まで届くかと思われるほど高く、左右に振られた。サンティアゴ滞在中、カテドラルの周辺をうろついていると、道中行き逢った何人かの懐かしい顔と再会し、お互いの巡礼成就を歓びあった。

巡礼オフィスで巡礼証明書を渡される

巡礼オフィスで巡礼証明書を渡される

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[グーグルMAP]  聖地サンティアゴへ 巨大な公営アルゲルゲ(モンテ・ド・ゴソ) モンテ・ド・ゴソ記念モニュメント 巡礼者記念モニュメント サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂 オブラドイロ広場 巡礼事務所 アルベルゲ(セミナリオ・メノール)

 

サンティアゴ・デ・コンポステーラ(9月24日)~フィステーラ(9月26日)85㎞ 

フィステーラ岬で太西洋に沈む夕日を眺めた

フィステーラ岬で太西洋に沈む夕日を眺めた

サンティアゴ・デ・コンポステーラのセミナリオ(神学校)のアルベルゲに2泊して、サンティアゴで再会したブラジル娘のレナタとメキシコ娘のマリアと一緒に大西洋岸に向かった。起伏の少ない山野を歩いて、ネグレイア、オルベイロアのアルベルゲに泊って、9月26日に地の果てを意味するフィステーラの岬に立った。大西洋に沈む夕日を、彼女たちと肩を並べて眺め、汗で汚れた衣服を焚き火で燃やした。こうして、長い巡礼の旅は終わった。

 

 

 

[グーグルMAP]  マセイラ橋 ネグレイラ アルベルゲ(オスピタル) フィステーラ

 

以下、巡礼の道風景です。

ナバレッテのアルベルゲ

ナバレッテのアルベルゲ

イラーチェの「ワインの泉」、ワイン醸造所がワインを無料で提供

イラーチェの「ワインの泉」、ワイン醸造所がワインを無料で提供

 

ローマ時代の石畳の道

ローマ時代の石畳の道

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナヘラ 王立サンタ・マリア修道院の塔の上のコウノトリ

ナヘラ 王立サンタ・マリア修道院の塔の上のコウノトリ

ブルゴスのカテドラル前のテーブルを囲んで

ブルゴスのカテドラル前のテーブルを囲んで

サン・アントンの修道院跡を道は通り抜ける

サン・アントンの修道院跡を道は通り抜ける

イテロ・デ・ラ・ベガの泉で休憩していたら、羊の群れが牧夫に連れられて通った

イテロ・デ・ラ・ベガの泉で休憩していたら、羊の群れが牧夫に連れられて通った

フロミスタの朝焼け

フロミスタの朝焼け

ベルシアノス・デル・レアノ・カミーノのアルベルゲで夕食、食事は先着した巡礼者が共同で調理してくれていた

ベルシアノス・デル・レアノ・カミーノのアルベルゲで夕食、食事は先着した巡礼者が共同で調理してくれていた

アストルガのカテドラル内部、パイプオルガンが演奏されていた

アストルガのカテドラル内部、パイプオルガンが演奏されていた

鉄の十字架で

鉄の十字架で

モリナセカに下る途中、エル・アセボ

モリナセカに下る途中、エル・アセボ

カスティージャ・イ・レオン州からガリシア州へ

カスティージャ・イ・レオン州からガリシア州へ

サリアを過ぎて、ガリシアの石造りの家に黄色い矢印

サリアを過ぎて、ガリシアの石造りの家に黄色い矢印

サンティアゴ・デ・コンポステーラ、カテドラルの塔が見える

サンティアゴ・デ・コンポステーラ、カテドラルの塔が見える

 

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