遊漁船 Zawawa 栗原成男

’13年10月現在、68歳
1.初めに
今年の春だったでしょうか、海が時化て出漁中止となりました。何気なく見ていたテレビのトーク番組で何とかいう東京大学 名誉教授さんがこんな事を言っていました。「人生二毛作」というのです。
すなわち、「今、日本人は90歳まで生きます。60歳で定年を迎えるとして、まだ30年もあります。その30年を如何に生きるかを考えておきましょう」というのです。
「アッ、俺がやっていることじゃないか」と思いました。話は少しさかのぼります。
2.2004年9月30日 早期退職
本来なら人生のけじめとして、定年退職をしたかったのですがどう考えてみても10月1日から実施される企業年金の新制度より旧制度の方が良さそうなのです。定年退職まで7か月を残して早期退職をしました。
さて今日から全部自由時間です。嬉しくて嬉しくて早速ヨットで仲良くなった隠岐のWS先生に会いに行きました。でもそこでやったのは魚釣りと素潜りでの魚撃ちでした。
その後は、海が凪ぎの時はヨットで凝りに凝っている「鯛ラバ」を(これに関しては後述します)、それ以外は自宅近くの波津の防波堤(通称:年金波止場、年金生活者が毎日のように魚釣りに来るのでそう呼ばれています)でのクロ(メジナ)釣りに通いました。
ヨットは自宅から ドア ツウ ドア で1時間半の山口県室津に係船しています。往復も大変ですし高速料金・ガソリン代も馬鹿になりません。当時は鯛ラバも随分上手くなって、釣果もしっかり確保します。家での消費は限られていますので新たに買った冷凍庫もすぐ一杯になりました。釣った魚は、マリーナで鱗を落として腸をだして持って帰り、ご近所さんに配ったり友達の家に持って行ったりが続きました。そのうち「高いお金をかけて俺はなんでこんな事をしているのだ」と思うようになりました。
年金波止場での魚釣りも、話しする人も限られています。話の内容も「○○さんが昨日、あそこで30cmを釣った」とか「撒き餌用のパン粉が今XX釣具屋で買うと95円で安い」とか同じ内容ばかりです。俺はこんな毎日をしていたら「ボケるのでは?」と思うようになりました。そんな生活が1年半ほど続きました。
3.再びサラリーマン生活
そんな中「MSC(マネジメントサービスセンター)」から「KURIさん仕事を手伝って」という話が舞い込みました。その会社は、ヒューマンアセスメントとか社員研修をやっている会社でした。「KURIさんは九州での病院の経験が長いのでそこでそのような需要があるのかを診てほしい」というのです。毎日の生活に疑問を感じていましたので「ヨッシャー」と二つ返事で引き受けました。
結果、病院は公私ともに意外と教育費がないのです。あっても東京本社の料金体系は地元料金と太刀打ち出来ません。2年間やりましたが本格的に取り組んでもペイしないという事がわかりました。
そんな矢先今度は、フェリングファーマから声がかかりました。スイスに本社を置く製薬メーカーですが、それまでのライセンス契約から一部を自販始めることになったとの事でした。製品は「排卵誘発剤」でした。九州にMRがいないので九州を担当してほしいと云うのです。これも「ヨッシャー」と沖縄を含めて引き受けることにしました。車も貸与されて毎日CDを聞きながらの長距離ドライブです。夜は馴染みの居酒屋へ・・・・、会議と称して1泊2日で東京に毎月行けるのも楽しみとなりました。
社内規定で65歳の年度までという事でしたので2年強、従事しました。各地区の主な不妊治療施設には全部口座を開設しましたし、ペンザス教授を迎えての講演会も成功に終わらせましたので初期の役目は充分果たせたと思っています。

Penzias教授とお世話になった先生方
4.ヨットに関して
45歳ごろからヒョンナことで始めたヨットは凝りに凝って53歳の時、自分のヨットを購入しました。当時は「退職したらヨットで世界1周をしよう」と思っていましたのでそれに耐えられるようなCONTEST35Sというオランダ製のヨットです。休日や有休を組み合わせてアチコチクルージングに行きました。そのレポートはホームページの「DIARY」をご覧ください。
レースも「みしまカップ(鹿児島・山川港スタート、三島村・竹島フィニッシュ、硫黄島で表彰式)」と「ハウステンボスヨットレース(長崎県・大村湾での内海レース)」10回以上参加していると思います。
ところがクルージングもレースもダンダン嫌になりました。理由は、クルージングは休日や有休を使ってのクルージングですので一定の期間に目的地まで行って、決まった日にちに帰ってこないと次の仕事に支障が出ます。結果、悪天候でも無理して航海しなければなりません。身の危険を感じたことも度々あります。今考えるとあの時はいろんな幸運が重なっていたのだなと思う事もあります。ヨットを止めた今でもその時のことが、夢に出てくることがあります。女房殿もアチコチクルージングに出かけることを大変心配しだしました。これも理由の一つです。

’06年7月 トカラ列島 宝島

’08年4月 土佐 久礼に八千代に会いに行った。
レースも「みしまカップ」参加には室津から山川まで4日かけて一人で回航します。金曜日夜に仲間が山川まで車でやってきます。土曜日、朝6時スタートして竹島フィニッシュ、そのまま硫黄島までいって、夜は大宴会です。ギニアのジャンベの神様:ママディ・ケイタさんが毎回やってきてジャンベに合わせて踊ります。翌日6時に硫黄島を離れて山川港に仲間を運びます。皆とはそこで別れて又一人でハウステンボスまで回航です。

’08年8月 みしまカップ

ジャンベの神様、ママディ ケイタさん
「おれはなんでこんな事をやらねばならないのか?」とだんだん思うようになりました。(つづく)
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