2017年9月24日にレドンデラを立ち、ポンテベドラ、パドロンを経て、28日に晴れて聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラに入った。翌日、日帰り観光バスに乗り、大西洋沿岸のフィステーラ、ムシーアを訪ねた。この旅路は「聖ヤコブ伝説」を辿ることでもあった。
案内書「聖地サンティアゴ巡礼の旅」から要点を掻い摘んで引用して、「聖ヤコブ伝説」を紹介したい。
ゴルゴダの丘で十字架に架けられたイエス・キリストは3日後に復活し、神の許に昇天した。キリスト昇天後、弟子たちは世界各地へキリスト教の布教に出かけて行った。ヤコブはスペインへ布教活動にやって来た。ガリシアの「死の海岸」にあるムシーアの海辺で祈っていたヤコブのもとに、海から石の船に乗ってマリア様がやって来る。ヤコブはマリア様に励まされて布教活動に勤しんだが、結果は芳しいものではなかった。傷心のヤコブは故郷パレスチナへ一人寂しく戻って行った。紀元44年、エルサレムにおいてユダヤの王の命でヤコブは斬首されてしまう。
ヤコブの二人の弟子たちは遺骸を運び出し、船に乗り込んで地中海を西へ、そして大西洋へ入り、ガリシアへやって来た。ウージャ川を遡り、支流のサール川へ入り、イリア・フラビア(現在のパドロン)で船は停まった。ヤコブがスペインで初めて説教したサンティアゴの丘の真下だった。二人の弟子たちは牛に聖ヤコブの遺骸を引かせ、星の導きの下、歩き出した。そして星が止まった場所こそが現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラの建つ場所だった。二人の弟子たちはヤコブ様の遺骸を守り、その傍らで永い眠りについた。こうして、聖ヤコブの遺骸は忘れ去られていった。
813年眩しい光が一人の修道士に降り注いだ。彼は一目散に司祭のもとに駆けつけた。二人は光の源へと向かった。そして星の光に包まれた大理石の聖櫃を発見する。それは800年近くもの間、人々から忘れ去られていた聖ヤコブ(サンティアゴ)の墓(遺骸)だった。
その場所にアストゥリアス王国のアルフォンソ2世が教会を建て、カンポ(野原)とステーラ(星の)を合わせた意味のコンポステーラと名付けたという。
イスラム教のウマイヤ朝支配下、8世紀初頭からキリスト教徒による国土を取り戻す運動(レコンキスタ)が起きた。レコンキスタの様々な場面でキリスト教徒を守り続けたということから聖ヤコブはスペインでのキリスト教の守護聖人となり、シンボルとして祀られるようになった。
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コメント
コメント一覧 (3件)
「サンティアゴ巡礼の旅」を9回に渡り投稿させていただきました。Webデザイナーの土田雄一さんのアイデアでmapを挿入し、その編集で見映えを良くしてくださいました。心から感謝いたします。 大島米次郎
大島さん、「米ちゃん、米ちゃん」と名古屋工場生産管理部時代に部下の女性陣をはじめとして皆に親しまれていましたが、今は世界に飛び出しますますお元気で大活躍ですねぇ・・・・。
安藤さん、とても懐かしいです。安藤さんのコメントに半年以上も気づかず、失礼しました。安藤さんも社友会の仲間入りをされたのですね。知恵者の安藤さんのこと、独自の世界を築かれていると思います。 大島米次郎