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サンティアゴ巡礼の旅日誌より

北の道 → 最初の道(サンタンデール - ティネオ)268㎞
2008年7月11日~7月22日

エールフランス機をパリのシャルル・ド・ゴール空港で乗り継いでビルバオへ。ビルバオ空港は閑散としていたので着陸後30分もしないうちに、市の中心部にくることができた。バスターミナルはTermibus(テルミブス)と名付けられている。本来なら、Terminal de Autobuses(テルミナル・デ・アウトブセス)とするところを、地名などの固有名詞が長たらしいスペイン語にしては思い切って短縮したものだ。長距離バスに乗り、ノンストップでサンタンデールへ。

 

サンタンデールのカテドラル

サンタンデールのカテドラル

サンタンデールでは、前年訪れそびれたカテドラルの内部に入った。静かなカテドラルの礼拝堂では数人のひとが跪いて熱心に祈っていた。岸壁の近くのペレーダ公園にある観光案内所でクレデンシャル(巡礼手帳)にスタンプを押してもらった。ここから眺めるサンタンデール湾は、前年と同様に明るく広々とした印象だった。
ペレーダ通りを反対側へ渡りサンタ・ルシア教会へ入ったら、丁度ミサが行われていた。席に腰を下ろしてミサに参加した。ミサの最後に、出席者は自分の周りにいる誰彼となく祝福の握手を交わした。(サンタンデール

 

 

モグロ川の鉄橋を渡る

モグロ川の鉄橋を渡る

黄色い矢印に従って私鉄のFEVEの線路沿いの道を歩いて行くと、前方から来た地元のおばさんが大きな声でこっちでないと言い、手振りで手前を右手に線路を潜るよう指し示した。すぐ後から来た60才台のドイツ人女性、ヒルデとブリギレーが先に立って行ったので後について行った。水量豊かなモグロ川が流れていて、もうこの辺りは河口近くなのだ。FEVEの鉄橋を線路沿いに渡った。直ぐ後からイタリア娘のマリオンも渡って来た。矢印通り進んでしまったら、約6㎞は上流に遠回りしてアセル橋を渡ったのだ。地元の人たちはモグロ川の対岸との行き来に、この橋を利用しているそうだ。スペイン人には、鉄橋の線路を通行することに目を瞑るおおらかさがまだある。

 

 

ポランコのアルベルゲを出発

ポランコのアルベルゲを出発

朝、ポランコのアルベルゲを出て、雲の間の青空から照る陽射しを受けて5㎞ほど歩いて行くと、立ち並ぶ古い建物が突然眼前に現れた。石畳の敷き詰められた広い道や広場に、中世の面影の残る教会や貴族の館が連なるサンティジャーナ・デル・マルだ。スペインのどこでも、この季節、家々の窓やベランダに彩り豊かな花々が飾られているが、サンティジャーナ・デル・マルの街路の建物では花々が一段と美しく咲き誇っていた。
ジャン・ポール・サルトルは、小説の主人公に、「サンティジャーナはスペインで一番美しい村」と言わせているそうだ。観光客が三々五々歩いていた。500mほどの旧市街の目抜き通りを通り抜けた。(サンティジャーナ・デル・マル

 

 

サンティジャーナ・デル・マル

サンティジャーナ・デル・マル

サンティジャーナ・デル・マル

サンティジャーナ・デル・マル

 

 

 

 

 

 

 

 

s1065サンティジャーナ・デル・マルからコブレセスへ向かう

 

 

 

 

 

 

s1071大きな屋敷の門口から

コブレセスのサン・マリア・デ・ビジャリセス・トラピス修道院に着いた。アルベルゲのある修道院で、80才近いと思われるパドレ(神父さん)が受け付けてくれた。パドレは小生のクレデンシャルから宿泊リストに名前などを書き写した。そして、「ハポネス(日本人)か?」と言って、パドレはやおら立ち上がり握手を求めてきた。小生の手を握るとそのまま何度も握り締めてきた。そして、小生をハグして、唇を小生の頬に押し付けてきた。その唇を小生の唇の方へ寄せてくるではないか。拒むのも失礼になるのかとも思い、これも神の思し召しと観念したとき、からだを離してくれた。

 

s1074ラ・イグレシアの集落(ラ・イグレシア

 

 

 

 

 

 

コミージャス

コミージャス

右手に海が見え隠れした。海沿いの道を過ぎるとコミージャスの村に入った。サンティジャーナに似て、歴史を感じさせる建物が石畳の広場を取り囲んでいる。街はずれの丘の上にコミージャス侯爵の豪壮な館があった。その庭園に、一目見てガウディが設計したなと感じられるユニークな建物、エル・カプリチョ(気まぐれ亭)があった。(コミージャス

エル・カプリチョ

エル・カプリチョ

s1088ガウディのブロンズ像と

 

 

 

 

 

 

 

ラ・マサ橋

ラ・マサ橋

エクスド川に架かる長いラ・マサ橋を渡り、サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラの街路に入った。エクスド川の上流は湿地状の入り江となっていた。アルベルゲは、エクスド川ともう一方の入り江に挟まれた丘陵の上のサンタ・マリア・デ・ロス・アンヘルス教会の隣にあった30人近くの宿泊客が食堂に集まって夕食をとった。(サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラ

サンタ・マリア・デ・ロス・アルヘンス教会と隣りのアルベルゲ

サンタ・マリア・デ・ロス・アルヘンス教会と隣りのアルベルゲ

 

 

 

 

 

 

 

 

遠方にカンタブリア山脈

遠方にカンタブリア山脈

デバ川を渡ってカンタブリア州からアストゥリアス州に変わった。放牧地の広がるなか、土道を歩いてコロンブレスの村に入った。公園に鮮やかな青色に彩色された目立つ建物があった。立ち寄ってみると、アルチーボ・デ・インディアノス(新大陸資料館)と掲示されていた。19世紀から20世紀にかけてアストゥリアスの多くの住民がアメリカ新大陸に渡ったという。この日は閉館で入れなかった。(コロンブレス

アルチーボ・デ・インディアンス

アルチーボ・デ・インディアノス

 

 

 

 

 

 

 

コロンブレスのスポーツ・センターに泊まった。広い室内の端の方が2階になっていて、2階のフロアーに体操用のマットレスを敷いた。

外では、12才の少年、チェマがボールゲームの遊び方を巡礼者に教えようとしていた。

巡礼者のひとりがゲームに挑戦

巡礼者のひとりがゲームに挑戦

フットサルの協議

フットサルの競技

 

 

 

 

 

 

 

 

屋内のフィールドでは夜9時から11時までのフットサルの競技が行われた。100人ほどの観戦者の声援が飛び交い、終わるまで眠るどころではなかった。

左手にカンタブリア山脈

左手にカンタブリア山脈

 

ブエルナ浜に出た

ブエルナ浜に出た

 

 

 

 

 

 

道沿いの民家に咲き誇る花

道沿いの民家に咲き誇る花

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャネスの街の裏通り

ジャネスの街の裏通り

トランスカンタブリコがジャネス駅を発車

トランスカンタブリコがジャネス駅を発車

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャネスの市街地を通り抜けてFEVEのジャネス駅を見つけた。駅舎と同じ棟がアルベルゲとなっていた。その名もずばりラ・エスタシオン(駅)。ベッドを確保してから駅のホームを覗いたら、丁度観光列車トランスカンタブリコが去っていくところだった。(ジャネス駅

ジャネスの町を出た

ジャネスの町を出た

オレオ

オレオ

 

 

 

 

 

 

 

 

オレオ

オレオ

ジャネスの町を出て進むと、アストゥリアス独特のオレオ(床面が正方形で木造の高床式穀倉)を初めて見た。この後、次々とオレオに出会った。殆どが年月を経た古い建物だが、明らかに最近建て替えた新しいオレオもあった。背景に鄙びた集落の佇まい、聳える山容に花をからませたりして際立って趣のあるオレオもあった。

 

 

 

 

干し草を積んだ荷馬車

干し草を積んだ荷馬車

高台にある教会からアグアダミア川まで下るべきところを、矢印を見落として道に迷ってしまい気ばかりが焦っていた。その時、前方から干し草を一杯に積んだ荷車を引いた馬が現れた。干し草の上に乗った農民が馬を御していた。スペインにはまだこんなのどかな生活風景があるのかと感激した。馬鹿なことだが、結局、教会を軸にして1時間ぐらい掛けてひと回りしてしまった。

 

 

 

 

s1177赤茶けた砂浜を前にして芝生のような滑らかな緑に覆われた野原を通った。

 

 

 

 

 

 

セブラジョのアルベルゲ

セブラジョのアルベルゲ

コルンガ辺りから雲が切れて青空が覗いた。オレオが次々と現れる山里を歩いて、セブラジョのアルベルゲに着いたがベッドは空いていなかった。建物の玄関ポーチのコンクリートの床に寝袋を敷く心算だった。ところが、カタルーニャ北部から来たラモンが、小生を建物内に呼び入れて、持参したマットを貸してくれた。マットは薄いので快適とは言えないが、コンクリートの上に直接寝袋を敷くよりずっと増しだ。お蔭で熟睡できた。(セブラジョ

 

 

 

 

グラセスの分岐点で

グラセスの分岐点で

今回の巡礼の旅では珍しく8人連れでビジャビシオサの町を通り過ぎた。グラセスの分岐点では、前方を指示した帆立て貝と左手に進むよう示した帆立て貝、二つの標識があった。前方へ進むとヒホンを通ってさらにカンタブリア海に沿って行く「北の道」、左に進むとオビエドを経て山岳地帯を越える「カミノ・プリミティボ(最初の道)」。小生は予め計画していた「カミノ・プリミティボ」をラモンとローレントとで選んだ。他の5人は「北の道」へ進路をとった。(アマンディ

 

 

 

シードル・パーティー

シードル・パーティー

シールド・パーティー

シールド・パーティー

 

 

 

 

 

 

 

 

ラ・カルカバダの集落の掲示板に、ベガ・デ・サリエゴでこの日の夜9時からシードル(りんご酒)・パーテーがあると掲示されていた。夕暮れになって、ラモンと広場の反対側にあるバルへ行き、シードルを頼むと、シードル入り瓶とグラス、シードルをグラスに注ぐ器具を渡された。器具をセットして上部のりんごの頭を押すと側面の2か所からシードルが線条になって勢いよくグラスに注がれる。なーんだ、それだけのことだった。一度だけバルの女主人がシードル瓶を高く上げてグラスに注ぐ、昔ながらの芸当を演じてくれた。(ラ・ベガ

オビエドのカテドラル

オビエドのカテドラル

オビエドはアストゥリア州の都で、カテドラル周辺には古い街並みが残っている。カテドラルはじめ周辺の建物はスペイン市民戦争のさなか、1937年にフランコ軍によって破壊されたが戦後再建されたそうだ。(オビエド

s1226
民族衣装の男女のグループがバルの外のテーブルで休憩していた。アストゥリアスの伝統舞踊とガイダ(バグパイプに似た楽器)演奏をするグループだなと思った。

 

 

ホスピタレイロの家に脱がれた木靴

ホスピタレイロの家に脱がれた木靴

革袋からワインを流し込む

革袋からワインを流し込む

 

 

 

 

 

 

 

 

家も疎らなビジャパニャダの集落のアルベルゲに泊まった。夕食にグラドで買い込んでおいたパンを食べたが、今日もラモンがスープを拵えてトマトと一緒に、オーストリアから来た若者、ガブリエルと小生に振る舞ってくれた。同宿の男性がワイン入りの革袋を差し出したので、本来の飲み方である革袋の飲み口に口をつけないようにしてワインを流し込んだ。すると、外でカタカタと音がしたので、木靴を履いて歩いているなと思って急いで外へ出た。傘を差した小母さんが歩き去った。ああ、木靴だ。日常生活で履いているのだ。

s1273コルネジャナまで下るとき、次々とオレオが現れてきた。(コルネジャナ

中世のサン。マルティン教会(サラス)

サラスにある中世のサン・マルティン教会

 

 

 

 

 

 

 

南方に山々が!

南方に山々が!

 

 

 

 

ティネオの町に近づいた。晴れ上がって遥か南に霞んでいるが、輪郭がはっきりと描かれた連山が眺められた。今回はここで巡礼の旅を切り上げた。(ティネオ

 

 

グーグル・アース ストリート・ビュー
1) Santanderサンタンデール
2) Santillana del Marサンティジャーナ・デル・マル
3) Cobrecesコブレセス
4) La Iglesiaラ・イグレシア
5) Comillasコミージャス
6) San Vicente de La Barquraサン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラ
7) Colombresコロンブレス
8) Llanesジャネス
9) Ribadesellaリバデセジャ
10) Sebrayoセブラジョ
11) Amandiアマンディ
12) La Vegaラ・ベガ
13) Oviedoオビエド
14) Cornellanaコルネジャナ
15) Gradoグラド
16) Salasサラス
17) Tineoティネオ

 

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