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“あの頃、その時そして今” No.6 「新宿三井ビルから新宿文化クイントビルへ」 – 鈴木 重章(東京)

私が入社したのは札幌冬季オリンピックが行われた翌1973年でした。

入社式は日本橋・柳屋ビルで、配属は札幌事業所となりました。5月に赴任となり、赴任した直後はどんよりとした冬景色のような空と、冬季オリンピックが終わった後の静けさに寂しさを感じておりましたが、初めての北海道はそれらをすべて払拭してくれました。

札幌での営業職は2年半と短く名古屋発送センターへと異動しました。諸先輩のご指導によりフォークリフトによる荷捌き業務から荷振り業務等様々な業務に就くことができました。

自己申告で広報部への異動を希望していたところ丁度空席があり、名古屋発送センターから1年後に広報部に転勤となりました。本社は1974年に新宿三井ビルに移転となっていましたので新宿での勤務となりました。

 

新宿新都心は淀橋浄水道場跡地にありましたが、高層ビルは京王プラザ、住友三角ビルと新宿三井ビルだけでした。

広報部は23階にあり、よく晴れた冬の午前中は窓から東京湾が輝いて見え、そして富士山も見えるほど眺望も素晴らしいものでした。まだ周りには空地が結構いっぱい残っていて、ある日、いきなり大きなテントが建てられ、そこで劇団四季のミュージカル「キャッツ」の長期公演がおこなわれたり、高層ビル群の建つ前の空き地を借り、東京支店とのソフトボール大会をやったこともありました。

新宿三井ビルの風物詩

といえば、「夏のケチャ祭り」と「のど自慢大会」でしょうか。ケチャ祭りでは芸能山城組によるバリ島の神秘的なガムランの響きに酔いしれていました。

その影響でバリ島に本場のケチャを堪能しに行ったこともありました。

のど自慢大会は、会社からの参加者の入賞も多かったのですが、応援にも趣向を凝らして応援賞を獲得したこともあったようです。

一方、冬ともなれば駅北側に位置する花園神社の「酉の市」です。

夕方、退社後カメラを片手に同僚らと参拝にでかけると、境内には出店が立ち並び、大小の熊手を担いだり手にかざした人々が行き交い大層な賑わいです。

参拝後、「花園饅頭」の濡れ甘納豆、「追分団子」の団子などを土産に買い求め、天ぷら「綱八」で食事をしたのもいい思い出です。

その後、新宿新都心も見る見るうちに高層ビル群という風景に変わるとともにファイザーも大きな会社へと発展していきました。

 

そして自分も広報部から経理部・財務部・人事部へと大きな飛躍となったと思っています。

(楽観的に思っているだけかもしれませんが。)

 

当初、新宿三井ビルを3フロアー借りていましたが社業の拡大・成長に伴い1フロアー借り増したり、野村ビルにもオフィスを借り増すことになりました。

その後のワーナーランバートとの合併・ファルマシアとの合併による拡大は、想像を絶するものであったと思っています。

規模の拡大と共に、社屋移転が取りざたされるようになり、”新社屋は自社ビル?”等の憶測も出るほどであったようですが、2003年に新宿文化クイントビルへ移転が決まりました。

現本社社屋「新宿文化クイントビル」へ移転

新宿三井ビルに比べると、新宿文化クイントビル内の飲食店の少なさに不便さを感じていたこともありましたが、”住めば都”、代々木方面まで足を延ばして美味しいところを探求するように、新たな環境・人間関係を探求するきっかけになったと思っています。

 

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